セレンディピティ

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 数日間ブログをさぼってすみませんでした。

 脳科学の研究分野で「セレンデピティ」という言葉があります。
 「思わぬ幸福に偶然出会う能力」です。

 セレンディピティがなぜ起こるのか、あるいは「セレンディピティ」における脳内の働きについて、科学的な証明されていませんが、科学史上の様々な場面において、セレンディピティの存在が欠かせなかったことも事実です。

 セレンディピティに絶対に必要な能力は「ひらめき」です。いくら宇宙が発見のシグナルを流し続けてもそれをキャッチするひらめきがないと、セレンディピティとはなりません。

 ですから、普段からひらめきの訓練をすることが必要だそうな。

 一方、サヴァン能力というものもあります。例えば、昔観た「レインマン」という映画でダスティホフマンが演じた「電話帳の番号を全部覚えてしまうような能力です」。

 しかし、このサヴァン能力が優れている人は、「ひらめき力」が圧倒的に弱いそうです。つまり、機械的なことはとても高い能力を発揮するのですが(記憶の再現力)、記憶の編集力は著しく欠けるということです。セレンディピティが起きにくい脳です。

 あまりITに頼った生活をしていると、記憶の再現力は高まりますが、記憶の編集力は低下していきます。セレンディピティから遠ざかる。

 ですよね。古代支那なんて、何もなかったのに、五経は、セレンデイピティにあふれています。電車の中で、辺りを見渡すと、スマフォをいじっている人ばかり。見ていて悲しくなります。

ひらめきを 創る脳力 身につけて セレンディピティ いつの日か來る?

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このページは、宝徳 健が2013年3月20日 07:43に書いたブログ記事です。

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