武力なき戦いの方が怖い 2

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 ニクソンショックにおけるアメリカの金ドル交換停止を解説しています。明らかにこれは日本たたきでした。
 政府・日銀はドル買い円売りの介入を続けるしかありませんでした。

 翌日以降も外為市場を開き続ければ、ドルの売り浴びせは目に見えており、介入も際限がなくなります。市場を開くのか閉じるのか大蔵省の金融協議が続けられました。

 議論の中心は、事務次官の鳩山威一郎(鳩山一郎の父)と国際金融畑のエースといわれ、初代財務官を優待したばかりの柏木雄一でした。

 鳩山は市場の閉鎖を主張しました。日本の対米貿易黒字は顕著になっていました。いったん市場を閉鎖すれば、再開時には米国からの円切り上げ要求となる可能性があります。鳩山は多少の円切り上げは仕方がないと踏んでいました。

 これに対し柏木は、閉じてはならないと反論しました。日本がドルの買い支えで米国を支援すれば、固定レートの維持は可能とみていたのです。結論はなかなか出ません。結局、欧州が外為市場を閉じて行く中、東京市場は開き続けました。当時、銀行は保有するドルと一定額以上円に換えられず、市場を閉じると安くなったドル資産によって銀行経営に影響がでることを恐れていました。

 政府・日銀は、結局16日~27日までドルを買い続けました。害入学は当時の外貨準備高の約半分にあたる40億ドルです。当時のレートで1兆4千億円です。つまり、安くなる者を買い続けたのです。アメリカが儲かる仕組みです。

 政府・日銀はついに27日~段階的変動相場制に移行しました。
 
 アメリカはしてやったりと思ったでしょう。この武力なき戦いの勝利を確信したに違いありません。

 結果は違いました。4か月後のスミソニアン会議で1ドル=308円となりましたが、当初の目的である日米貿易不均衡はその後も拡大しました。我が國の企業が、それ以上の力をつけていたのです。

 アメリカは世界における経済覇権を放棄したことだけを結果として受け止めたことになりました。

 國の力は國民の力です。我が國債権が急がれます。

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このページは、宝徳 健が2013年4月14日 14:59に書いたブログ記事です。

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