自然を神とする我が國

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 我が國は、自然界に存在する万物を神とします。欧米人や支那人や朝鮮人は、自然とは人間が征服するものとして扱います。人さえも征服するものとしています。

 だから、自分たちが征服するものを神とする我が國を、彼らは一段低く見ます。
 ずっと、ずっと、自然を愛する我が國が好きでした。もちろん今も。学べば学ぶほど、「人」という利己的な存在をどうしてここまで、我が國の祖先たちは高めることができったのだろうか、それは自然を愛したからだろうか、と不思議に思っていました。

 最近「日本人の忘れもの 2(中西進先生著 ウェッジ出版)」を読みました。これまでの私の疑問が解けました。ウェッジとは言うまでもなく、JR東海の月刊誌です。葛西さんが経営者なので、やはりすごいですね。

 中西先生は、そのご著書で日本人の三つの特徴を挙げていらっしゃいます。その一つが「尊敬する力」です。日本語には尊敬語がたくさんあります。もちろん外国語にもありますが、外国語のそれは、丁寧語という表現がふさわしいでしょう。

 尊敬する力とは、常に相手を自分より上位に置く態度です。上限関係を前提とした尊敬ではありません。

 不埒な日教組は、平等という悪しき名の下に、尊敬は階級意識があるから民主的ではないとか、女性の言葉に尊敬語が多いから性差別があるとか、おかしなことを言います。

 そうではありません。自分が劣っていると考えるからこそ、他人から教えられ、他人の良いところを学び、自分を補って成長することができます。反対に、自分が誰よりもすぐれていると思ったら成長はなくなります。今は、努力の如何にかかわらない平等という悪しき教育が行われ、間違った意味での個性という言葉を使うため、我が國國民が成長を志向しなくなりました。自分が中心となるため、力のない人間は、「私は教えられて当然だ」「私は経験や力がないから助けられて当然だ」「私は貧しいから助けられて当然だ」と考えます。これを向下と言います。向下の人間は、人から何かをやってもらうのが当然だと考え、感謝の気持ちを持ちません。そのくせ、人のために心と体を使うことをしません。感謝の気持ちを持たないから、人に対してなにもしようとしません。求めるだけです。
「魅は与を以て生じ、求(ぐ)を以て滅す」という言葉がありますが、今の我が國は、この逆です。

 ルース・ベネディクトという人が「菊と刀」という本で、我が國は「恥」の文化であると言っています。そして我が國の恥とは「敬」と同義だとも。他を尊敬するからこそ、自らの足りないところを恥じる文化です。

 欧米や支那は権利・義務思想ですから、我が國のような考え方はしません。共産主義者、左派もこの考え方をしません。だからいつも彼らが原因で争い事が起きます。権利・義務思想や市民運動がいかに愚かがわかります。

 話を戻します。我が國のこの敬虔な気持ちは、自然界に対しても同じです。自然に対しても十分尊敬を払い、その猛威を畏れ、自然の力に沿って人間の暮らしを考えることで自然から力を与えられると考えます。

 だから、あらゆるものが神となります。神社の御祭神には木や石まで入っています。鯨や熊や亀まで神様になります。

 我が国の日本語が特徴とする敬語は、そうした生活に仕方の、ごく自然な現れです。
 
 自民党が、TOFELを大学の入学卒業の課程にすると発表しました。愚かな・・・。あの表音文字を教育の指標にしてまた國家を破壊しようと言うのでしょうか? 英語教育を否定している訳ではありません。その前に國語です。日本語は世界語にならないと彼らは言います。いいじゃないですか。世界で一番高度な言語を持つことを誇っても。高度なものを低いレベルの言語にする必要はさらさらありません。それに日本語が世界語になど、世界で一番我が國が嫌いなアメリカが許すはずがありません。

 尊敬から生まれた自然界への畏敬・・・。中西先生のご著書を読んで、また気づきを得ました。読書は、最初からその本のことをすべて理解できることはありません。たくさん本を読むと疑問もたくさん出てきます。でも、読み続けると、いつか「あ~、そうか~」という瞬間が生まれます。

 素敵ですね。本も我が國も。

敬いと 畏れの気持ちが 自らの 成長引き出す 我が國ありて

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このページは、宝徳 健が2013年4月15日 00:27に書いたブログ記事です。

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