北清事変の真実4

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 福島中将が派遣されたところまででした。
 福島中将率いる大日本帝國軍はとよく、各國軍はその優秀さに舌を巻きます。天津城攻略後は、各國は、敬意を表して、日章旗を仰ぎながら「君が代」を唱和しました。

 さて、次は北京の居留民救出が必要です。英国は、

「日本は公使館救出の成功を期待できる唯一の國だ。英国は現地兵力と財政的補助の提供を惜しまない」として、敬意をもって日本に増派を要請しました。

 かくして師団長山口素臣(もとおみ)中将率いる第五師団が七月中旬から続々と天津に到着しました。山土中将は日清戦争で大活躍した猛者です。

 大日本帝國軍が作成を主導しました。そして、北京の居留民を救いました。

 さあ、ここで北清事変の大英雄 柴五郎が登場します。

 この柴五郎がいたからこそ、日英同盟が締結されました。日英同盟があったからこそ、我が國は、日露戦争で勝利しました。まさに、福澤諭吉先生の「一身独立して、一國独立す」です。一人一人の國民がしっかりしていて初めて國を救うことが出来ます。今の我が國では・・・・。

 不埒な日教組による戦後の過った教育が悔やまれてなりません。

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このページは、宝徳 健が2013年5月26日 02:18に書いたブログ記事です。

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