國民主権は本当に正しいのか

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 また、こんなタイトルのようなことを言うと、戦後の過った教育観に浸った人に「気でも狂ったか」と言われそうですね(笑)。 かつて私が「大東亜戦争は侵略戦争ではない」と言ったとき、ものすごい批判の声を浴びました。でも、十五年以上経って、私の言っていたことの方が真実であると理解してくださる方が増えてきました。「誰が正しいかではなく、何が正しいか」です。

 國民主権もそうです。主権者である國民は、本当に主権者たる良識を持っているのでしょうか? 主権者たるにふさわしい学びをしているのでしょうか? していないのに、そんな人間群が主権を持ったら我が國はむちゃくちゃになってしまいます。それに、國民主権とはいったいなんなんだという基本的認識ができていません。昨日の産經新聞に、埼玉大学名誉教授 長谷川三千代先生が、素晴らしい記事を書いていらっしゃいました。長いので三日ぐらいに分けて紹介します。

 ちょっと趣向を凝らして、長谷川先生の記事をおしりの方から紹介していきます。
(記事の最後の章)
事実を示し考えさせる教育を

 公民教科書では「国民主権」と「国家主権」とが完全に別物のようにして扱われていますが、もともとは同じ一つの概念の内側と外側といった関係です。実は、そもそも「国民主権」とは、フランス革命における、王を殺して国民が権力を奪うのが正義だ、という思想に基づく、問題のある政治原理なのですが、なににせよ「国家主権」のないところでは「国民主権」も成立しえないのです。

 さらに言えば、国家が一切の力を放棄するという日本国憲法の「平和主義」は、国家主権の放棄であり、そこでは「国家主権」が成り立たないどころか、近代憲法自体が成り立ちません。「基本的人権」を守ることも不可能となります。

 つまりこんな風に、日本国憲法は全くめちゃくちゃな憲法なのです。その衝撃を事実ありのままに、子供たちの目の前にさらけだすこと―――本当の考えさせる憲法教育とはそこから始めるべきでしょう。

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このページは、宝徳 健が2013年5月 1日 05:14に書いたブログ記事です。

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