再 未来日本昔話

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 2010年1月27日掲載分です。
 昨年、労働基準法が改正されましたね。4月から施行です。派遣法も改正されようとしています。ちょっと 内容がひどい。これでは、企業経営者に人を雇うなと言っていることになります。雇用環境を整えるのが政治の仕事です。左翼的になってしまうと、世の中をどんどん非効率にしていくのですね。社会主義国家が破綻した理由がわかります。中国は破綻していないって? まあ、みていてください。ああいう強権政治は数十年は続きます。でも、必ず崩壊します。歴史が証明しています。

 さて、おなじみの未来日本昔話です。時は2100年。愚かな政治と愚かな国民によって日本はつぶれてしまっています。おばあちゃんとまさる君(10歳)の会話が続きます。昨日に続いて『植民地政策』についてです。

「おばあちゃん、昨日、寝るときに考えていたんだけど、昨日、おばあちゃんが最後に言った、『英国のインド植民地政策は巧みだった』ということは、具体的 にどういうこと? 気になって眠れなかった」
「おやおや、それはごめんなさい。今日も欧米の植民地政策だったね。日本の植民地政策と呼ばれるものを知るためには、どうしても、欧米の植民地政策がいかにひどかったかを知る必要があるからね。では、今日は、英国のインド支配を話そうか」
「うん」

「当時、インドはイスラム・ムガール帝国の支配下にあったの。それで、伝統のヒンズーは衰退気味だったの。英国はそれを復興させたのよ」
「なんで?」
「イスラムとの宗教対立を深めるため」
「へー? よく分からないけど、しばらく話を聞くね」
「英国はさらにイスラム系ベンガル人とヒンズー・ビハール人を同じ政治区分に住ませて、憎悪を深めさせたり、別の宗派シーク教徒を治安の要に住ませたりして、争いを誘ったの」
「何のためなんだろう?」
「それは、四億の国民が宗教で分裂、対立して争っている限り、団結して宗主国に抵抗する事態は起きないからよ。実際にチャーチルという元首相は『植民地インドを支えた最大の防壁だった』と自賛しているの」

「へんなの」
「白人にとって、有色人種は動物以下の感覚だったからね。」
「そうなの?」
「そうだよ。先の大東亜戦争でも、もともとはアメリカ人の人種差別から起きたのさ」
「へー、それはまた聞かせてね。おばあちゃん、続きを話して」
「はいはい。ヒンズーの復活は同時にカースト制度の復活も意味するの」

「カースト制度って?」
「バ ラモン(僧侶)、クシャトリヤ(王侯貴族)、バイシャ(平民)、スードラ(奴隷)という四つの階級を中心に130個も階級がある身分制度よ。韓国も李氏朝 鮮のとき、両班(ヤンパン)、中人(ちゅうじん)、常人(じょうじん)、奴婢(ぬひ)という四つの身分制度を据えたので、国家がまったく停滞してしまった の」
「日本は、士農工商という身分制度があったけど、武士道のおかげでそういうことは起きなかったんだよね」
「そうそう、以前勉強したはね。覚えていて偉いわ、まさるは。朝鮮でさえ、そんな状況だから、130もあるカースト制度がどれほどインド社会を縛ってきたかは容易に想像がつくわね」
「そうだね~。恐ろしい」
「さらに、地方言語も復活させたの。今のインドの紙幣には十六種類の言葉が書かれているのよ。インドは共通する母国語を持つ機会を完全に失ったの」

「じゃあ、意思疎通できないジャン」
「そうよ。共通語がなければ国家意識も連帯感も希薄になるの。宗教と言語、この二つの分断の結果、英国はたった二千人の文官だけで、四億のインドを支配できたのよ」
「欧米の植民地支配ってひどいね」

「そうね。明日は、英国のその他の植民地政策について話すね。それと、時間があったら、他の欧米諸国の植民地政策も」
「うん。日本はそんなひどいことを台湾、満州、朝鮮にはしなかったんだよね」
「しなかったよ。経済は成長し、国民所得は向上し、人口がどんどん増え、高度な教育も施す政策を実施したのさ。日本国内よりも優先してその三つの国に国内の税金をつぎ込んだの」
「へー、早く日本の政策を聞きたいね」

「お楽しみにね。まだ、欧米のことを学ぶ必要があるから」
「うん」
「さてさて、今日のおやつは~」
「ひゃー、なんだろう。いつも楽しみだな~」
「あのね~、今日は、金沢の柴舟というお菓子だよ」
「きれいなお菓子だね。まるで、水に遊ぶ舟のようだね。いっただきまーす。(モグモグ)。ねえ、おばあちゃん、おばあちゃんってとってもきれいだね」
「(赤くなりながら)いやだよ。この子は。早くお食べ(といいながらもうれしい)」

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このページは、宝徳 健が2013年5月18日 04:03に書いたブログ記事です。

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