2010年2月4日掲載分です。
今日は立春ですね。でも、すんごく寒い~。
民主党の政治資金の話はひどいですね。あんな泥棒が日本の政治を牛耳っていると思うとぞっとします。まあ、あんな政党に政権を委ねた国民の責任ですが。
さて、時は2100年。こんなひどい政治を国民が許したので、日本は潰れてしまいました。おばあちゃんとまさる君(10歳)が日本の正しい歴史を話し合っています。もう39回目になったのですね。今日のテーマは日米関係です。
「おばあちゃん、日本はなんでアメリカと戦争をしたの?」
「いい質問だね。まさるは、どんどん冴えてくるね。でも、日本がなぜアメリカと戦争をしたかを知るためには、日米関係の歴史を知る必要があるからそれから話そうね」
「うん」
「ペリーの黒船が来て、日本が開国したのは知っているね?」
「うん。江戸時代だね」
「そ うだよ。当時の日本はアジアの大国であった清国の有形無形の圧力を受け、さらに米国の砲艦外交の恐ろしさを知っていたの。続いてロシア、英国、フランスな どの列強に港を開かざるを得なくなったの。英国は薩摩とフランスは幕府をの関係を深めるなど、外国からの挑戦に対応するためには国内の体制を思い切って変革していかなくてはならなかったの。明治維新は国際社会の中で生き延びるために日本人が行った偉業なのよ」
「うん、わかる」
「近代国家日本は、朝鮮半島をめぐり日清戦争に突入するんだけど、陸奥宗光という外相は、米国が日本に対してもっとも親切で好意をもっているといっていたの。1902年には英国と同盟を結び1904年に日露戦争で勝利をおさめたのよ」
「開国してすぐなのにすごいね」
「そうよ。米国のセオドア・ルーズベルト大統領は中立の立場をとりながらも日本に好意的な態度を貫き、ポーツマス講和会議では仲介役を果たしたのよ。日米英対ロシアの対立の構図だったの」
「国際政治って誰か強い国を味方につけないといけないんだね」
「そうよ。でも、民主党は日米関係をだめにしたの。日本がつぶれたひとつの原因ね。でもね・・・」
「なあに、おばあちゃん」
「日露戦争のあとに日米関係は二つの障害がうまれたの。ひとつは満州をめぐる利権の対立なの。アメリカの鉄道王ハリマンが米大陸を横断する鉄道、太平洋航路、 南満州鉄道、東満州鉄道、シベリア、大西洋航路で地球を一周する大計画の下に、日本がポーツマス条約で取得した南満州鉄道の買収を画策したの。桂太郎首相 をはじめとする日本政府首脳の間には、戦費を使い果たした財政事情から、米国の資本を導入しようとしたんだけど、小村寿太郎外相の強い反対でハリマンの計 画はつぶれたの」
「国際政治のパワーバランスはすごいね」
「それと、もうひとつが、人種差別なの」
「ああ、この前も聞いた話だね。有色人種が世界の主要国になることが許せなかったんでしょ」
「そ う。日本人の米国移民に対する排斥運動が次第に強まったの。1906年にサンフランシスコで日本人が駆動隔離問題が起こり、日本人を憤慨させたの。 1913年には土地所有禁止法、1924年には移民排斥法までできたのよ。渋沢栄一など、時の日本の実力者は何がなんだかわけがわからず、今までアメリカ を信じてきたのは何だったんだとまで言ったの」
「恐いね」
「第一次世界大戦の後始末のために開かれたベルサイユ講和会議で日本全権大使は平和条約に人種平等を明記すべきだと主張したんだけど。列国はこれを採用しないまま移民排斥法を続けたの。」
「なんか、聞くのが恐くなるね」
「そうね。この問題はゆっくりと話そうね。ちょっと恐いから。もう、おやつにしようよ」
「うん・・・」
「今日はね、神奈川県鎌倉市の鳩サブレよ」
「わー、なんか素朴な味。おいしいね。こういう話の後は素朴な味がいいかも」
「まあ、まさるったら」
民主党の政治資金の話はひどいですね。あんな泥棒が日本の政治を牛耳っていると思うとぞっとします。まあ、あんな政党に政権を委ねた国民の責任ですが。
さて、時は2100年。こんなひどい政治を国民が許したので、日本は潰れてしまいました。おばあちゃんとまさる君(10歳)が日本の正しい歴史を話し合っています。もう39回目になったのですね。今日のテーマは日米関係です。
「おばあちゃん、日本はなんでアメリカと戦争をしたの?」
「いい質問だね。まさるは、どんどん冴えてくるね。でも、日本がなぜアメリカと戦争をしたかを知るためには、日米関係の歴史を知る必要があるからそれから話そうね」
「うん」
「ペリーの黒船が来て、日本が開国したのは知っているね?」
「うん。江戸時代だね」
「そ うだよ。当時の日本はアジアの大国であった清国の有形無形の圧力を受け、さらに米国の砲艦外交の恐ろしさを知っていたの。続いてロシア、英国、フランスな どの列強に港を開かざるを得なくなったの。英国は薩摩とフランスは幕府をの関係を深めるなど、外国からの挑戦に対応するためには国内の体制を思い切って変革していかなくてはならなかったの。明治維新は国際社会の中で生き延びるために日本人が行った偉業なのよ」
「うん、わかる」
「近代国家日本は、朝鮮半島をめぐり日清戦争に突入するんだけど、陸奥宗光という外相は、米国が日本に対してもっとも親切で好意をもっているといっていたの。1902年には英国と同盟を結び1904年に日露戦争で勝利をおさめたのよ」
「開国してすぐなのにすごいね」
「そうよ。米国のセオドア・ルーズベルト大統領は中立の立場をとりながらも日本に好意的な態度を貫き、ポーツマス講和会議では仲介役を果たしたのよ。日米英対ロシアの対立の構図だったの」
「国際政治って誰か強い国を味方につけないといけないんだね」
「そうよ。でも、民主党は日米関係をだめにしたの。日本がつぶれたひとつの原因ね。でもね・・・」
「なあに、おばあちゃん」
「日露戦争のあとに日米関係は二つの障害がうまれたの。ひとつは満州をめぐる利権の対立なの。アメリカの鉄道王ハリマンが米大陸を横断する鉄道、太平洋航路、 南満州鉄道、東満州鉄道、シベリア、大西洋航路で地球を一周する大計画の下に、日本がポーツマス条約で取得した南満州鉄道の買収を画策したの。桂太郎首相 をはじめとする日本政府首脳の間には、戦費を使い果たした財政事情から、米国の資本を導入しようとしたんだけど、小村寿太郎外相の強い反対でハリマンの計 画はつぶれたの」
「国際政治のパワーバランスはすごいね」
「それと、もうひとつが、人種差別なの」
「ああ、この前も聞いた話だね。有色人種が世界の主要国になることが許せなかったんでしょ」
「そ う。日本人の米国移民に対する排斥運動が次第に強まったの。1906年にサンフランシスコで日本人が駆動隔離問題が起こり、日本人を憤慨させたの。 1913年には土地所有禁止法、1924年には移民排斥法までできたのよ。渋沢栄一など、時の日本の実力者は何がなんだかわけがわからず、今までアメリカ を信じてきたのは何だったんだとまで言ったの」
「恐いね」
「第一次世界大戦の後始末のために開かれたベルサイユ講和会議で日本全権大使は平和条約に人種平等を明記すべきだと主張したんだけど。列国はこれを採用しないまま移民排斥法を続けたの。」
「なんか、聞くのが恐くなるね」
「そうね。この問題はゆっくりと話そうね。ちょっと恐いから。もう、おやつにしようよ」
「うん・・・」
「今日はね、神奈川県鎌倉市の鳩サブレよ」
「わー、なんか素朴な味。おいしいね。こういう話の後は素朴な味がいいかも」
「まあ、まさるったら」
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