御所に「一言さん」と呼ばれる一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)があります。ここが葛城氏の本拠地とみなされています。
一言主大神は、雄略天皇が葛城山で狩りをした時に顕現した神様です。天皇一行と同じいでたちをしていたので、雄略天皇が見咎めたところ「吾は悪事も一言、善事も一言、言い放つ神、葛城の一言主大神ぞ」答えました(古事記)。一言の願いであれば何でも聞いてくれる神様です。
(一言主神社)
松並木の賛同の奥、山麓の高台に社殿があります。そのそばに、蜘蛛塚があります。ヤマト王権に服従しなかった辺境の民の事を「土蜘蛛」といいますが、それを対峙して埋めたという丸石の塚です。
この一言主神社を背にして、正面から少し行ったところに、列島最大規模の集落遺跡があります。これが南郷遺跡群です。かなり高度な文化を持っていたらしく、鉄やガラスを加工した工房の跡まで見られるそうです。
葛城氏が勢力を誇ったのは皇室の外戚であっただけではなく、このような高度な技術も有していたこともあるのでしょう。
さて、このような勢力を誇った葛城氏ですが、三代で滅亡してしまいます。それはなぜでしょうか?古事記の「人代」に書いてある事件が関係してきます。つづく。
(一言主神社)
松並木の賛同の奥、山麓の高台に社殿があります。そのそばに、蜘蛛塚があります。ヤマト王権に服従しなかった辺境の民の事を「土蜘蛛」といいますが、それを対峙して埋めたという丸石の塚です。
この一言主神社を背にして、正面から少し行ったところに、列島最大規模の集落遺跡があります。これが南郷遺跡群です。かなり高度な文化を持っていたらしく、鉄やガラスを加工した工房の跡まで見られるそうです。
葛城氏が勢力を誇ったのは皇室の外戚であっただけではなく、このような高度な技術も有していたこともあるのでしょう。
さて、このような勢力を誇った葛城氏ですが、三代で滅亡してしまいます。それはなぜでしょうか?古事記の「人代」に書いてある事件が関係してきます。つづく。
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