御所4

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 小和田という我が國を破壊しようとしている隠れ左翼のボスが皇室の外戚として猛威を振るいつつあります。道教以来の我が國の危機です。國民みんなでこの危機を除き去りましょう。

 そのためには、國民一人ひとりが、我が國の素晴らしい國体と歴史を心から理解する必要があります。

 この御所(ごぜ)に代表される葛城路の歴史などもそのひとつです。

 葛城氏はなぜ三代で滅んだのでしょうか?
 葛城襲津彦の孫が円大臣(つぶらのおおおみ)です。この円大臣で葛城家は滅亡します。

 日本書紀 雄略天皇即位前紀によると、安康天皇を 殺した眉輪王(まよわのおおきみ)が、円大臣屋敷に逃げ込んだので、大泊瀬皇子(おおはつせのみこ:後の雄略天皇)が屋敷を囲みました。円大臣は、娘の韓 姫(からひめ)と自分の所領七カ所を差出許しを請いましたが、第泊瀬皇子はそれを許さず、円大臣や眉輪王を屋敷ごと焼き殺してしまったのです。

 でも、葛城氏は、襲津彦以外にも幾系統もあった大勢力です。葛城氏の女性の子孫がさまざまな分野で我が國の歴史に影響を及ぼしています。

 円大臣の娘の韓姫は、清寧天皇(せいねいてんのう)の母となりました。傍系の飯豊皇女(いいどよのひめみこ)は、兄の子二人が天皇となるまで(仁賢天皇と顕宗天皇)が天皇になるまで皇位についたとも言われています。

 その他にもたくさんいわれがあります。日本書紀、古事記にも記述がたくさんあります。我が國は素敵ですね。滅んだとされる一族が皇室に入る。滅んだとされる一族のことも、きちんと史書に記述する。

 この他國になはない、我が國の祖先の在り方が、我が國をして、世界最古の國、世界で唯一歴史が継続した國へと導いたのでしょう。今の私たちは、それを破壊しようとしていますが。歴史を学びましょう。

眠る眠る 古代が眠る 我が國の 古代は 今に蘇へりつつ

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このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2013年6月15日 04:04に書いたブログ記事です。

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