北清事変の真実6

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 歴史が嫌いな人も確かにいるのでしょうけれど、正しい歴史を知らないと、外國と赤いメディアと官僚と日教組とNHKなどに騙されてしまいます。誤った判断で國を潰してしまいます。國を潰したい國民がいるのだろうか?

 それと、旅をしていて面白くないと思うのですがどうでしょうか? 先ほどの御所及び葛城路の記事もそうです。知っていると御所あたりを散策するのは旅として最高の楽しみを得ることができますが、知らないとただの田舎です。のどかに散歩してひばりの声を聞くぐらいでしょうか? 旅をしていて面白くないのではと思ってしまいます。

 歴史を正しく把握しましょう。柴五郎でしたね。
  柴中佐は北京市民にも大歓迎を受けました。籠城中に日本人の保護を受けた支那人は、柴中佐の慈愛精神に感激をしたぐらいです。

 連合軍の北京攻略後、皇帝以下政府要人は逃走しました。結果として無政府状態に陥りました。詳細は後日書きますが、この時、他の國(イギリスやドイツやロシアなど)の軍隊は、略奪暴行強姦を繰り返します。ドイツ皇帝などはそれを指示したくらいです。他國にとって、勝者とは何でもやっていい存在です。支那などは、略奪と強姦を認めないと兵士は動かないぐらいです。

 我が國軍隊は違います。柴中佐が管理した地域は、治安が回復し商店は営業を開始しました。他國とまったく違います。これが北京市民を怒らせました。柴中佐は北京の守り神のように慕われ感謝されました。

 柴中佐は大佐に昇進した後、日露戦争に参加します。その後会津出身で初めての陸軍大将となります。大東亜戦争の敗戦が決まると切腹をしますが、高齢のため力尽きて未遂に終わります。それからほどなくして亡くなります。享年八十七歳。

 柴中佐だけではありません。我が軍は、支那事変時も、支那軍が自國の民衆から略奪したり、民衆に暴行を加えたり、民衆の家を焼き払ったり、民衆の田畑を破壊したりした時に、支那民衆を助け、支那人から感謝されます。

 では、どうして、非人道的だった欧米各國よりも我が國が悪く言われるか。

 それは、我が軍が、支那と支那人に優しくしたからです。???と思われるでしょう。これが支那人です。これを知らないと支那人とは付き合えません。

 つまり、優しくしてくれる人は、少々悪いことをしても寛大なので、自ら從おうとしないのが支那人です。欧米は、逆らうと無茶苦茶するから従います。わけがわかりませんね(笑)。

 次回以降、我が軍がどれほど素晴らしい軍紀であったかを紹介します。

正しきこと 知らずに メディアに 騙される 知ろう真実 次代のために

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このページは、宝徳 健が2013年6月10日 05:17に書いたブログ記事です。

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