昨日の続きです。
龍は雲に乗って天に昇る
私は昭和二十八年に大学生の塾を立ち上げた頃、中井祖門という禅僧に深く親炙(しんしゃ)しておりました。
ある正月にご挨拶に伺うと、床の間に中井老師が描いた絵が掛かっていました。私はその見事さに感嘆し、ぜひとも自宅の床の間に掛けてみたい、と無理を言って借りて帰りました。ところが毎日眺めていると、その元気な龍に何か危ういものを感ずるのです。
よくよく見ると、その龍には雲が描かれていませんでした。私はそういう絵を掛けていると自分も墜ちてしまうと思い、すぐに老師に返しに行きました。
龍は雲に乗って天に昇るものです。会社では重役になるくらいの人は、能力も働きも秀でているものですが、それだけでは一國一城の主にはなれません。人望、徳望がなければ上がることはできないのです。
聞けば老師がその絵を描いたのは四十九歳の時。まだ元気盛りの頃だと分かり得心しました。自分の力だけでなく、時間をかけて徳を養い、人望によって推挽されていくのが本当の社長であり、地位を奪ったような社長は長く続くものではありません。雲が十分寄ってくるまで天に昇ってはならないのです。
中井老師は生涯に二つのお寺をお建てになりました。最初の寺は若い頃のもので、生来の向こう気の強さを直すため、浄財を集めて廃寺を再興しようと願を立てたのでした。当時のお金で千円の大金が必要で、老師はこれを五万人、十五万回頭を下げて工面しようとしました。
けれども托鉢で二銭いただいた女性の母親が病気と知り、病床に二円置いて帰ってくるといったことを繰り返していたため、十五万回頭を下げる成就はしたものの浄財はほとんど残りませんでした。しかしある大阪の富豪が老師の志に感心し、必要資金をすべて提供して立派なお寺が建ったのでした。
これに対して二つ目のお寺は、老師からの働きかけはほとんどなかったにもかかわらず方々から寄進があり、立派なお寺が建ったそうです。一つ目のお寺が建った後、老師は僧侶としてずいぶん徳を積みました。二つ目のお寺はまさしく老師の徳望、人望によって建ったといえるでしょう。
僧侶が寺を建てるのも、会社員が社長になるのも同様で、能力だけでなく、人望を備えなければ本当の飛龍になり得ないのです。つづく
私は昭和二十八年に大学生の塾を立ち上げた頃、中井祖門という禅僧に深く親炙(しんしゃ)しておりました。
ある正月にご挨拶に伺うと、床の間に中井老師が描いた絵が掛かっていました。私はその見事さに感嘆し、ぜひとも自宅の床の間に掛けてみたい、と無理を言って借りて帰りました。ところが毎日眺めていると、その元気な龍に何か危ういものを感ずるのです。
よくよく見ると、その龍には雲が描かれていませんでした。私はそういう絵を掛けていると自分も墜ちてしまうと思い、すぐに老師に返しに行きました。
龍は雲に乗って天に昇るものです。会社では重役になるくらいの人は、能力も働きも秀でているものですが、それだけでは一國一城の主にはなれません。人望、徳望がなければ上がることはできないのです。
聞けば老師がその絵を描いたのは四十九歳の時。まだ元気盛りの頃だと分かり得心しました。自分の力だけでなく、時間をかけて徳を養い、人望によって推挽されていくのが本当の社長であり、地位を奪ったような社長は長く続くものではありません。雲が十分寄ってくるまで天に昇ってはならないのです。
中井老師は生涯に二つのお寺をお建てになりました。最初の寺は若い頃のもので、生来の向こう気の強さを直すため、浄財を集めて廃寺を再興しようと願を立てたのでした。当時のお金で千円の大金が必要で、老師はこれを五万人、十五万回頭を下げて工面しようとしました。
けれども托鉢で二銭いただいた女性の母親が病気と知り、病床に二円置いて帰ってくるといったことを繰り返していたため、十五万回頭を下げる成就はしたものの浄財はほとんど残りませんでした。しかしある大阪の富豪が老師の志に感心し、必要資金をすべて提供して立派なお寺が建ったのでした。
これに対して二つ目のお寺は、老師からの働きかけはほとんどなかったにもかかわらず方々から寄進があり、立派なお寺が建ったそうです。一つ目のお寺が建った後、老師は僧侶としてずいぶん徳を積みました。二つ目のお寺はまさしく老師の徳望、人望によって建ったといえるでしょう。
僧侶が寺を建てるのも、会社員が社長になるのも同様で、能力だけでなく、人望を備えなければ本当の飛龍になり得ないのです。つづく
自らが できると思ふ うぬぼれは 他の方々の 德ありてこそ
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