自ら彊(つと)めて息(や)まず 3

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 久しぶりにウィンブルドンを観ました。途中で寝てしまったので、途中はどうなっているかわかりませんが、素晴らしい試合です。球足が速く低いグラスコートであれだけのラリーの攻防です。お互いにディフェンス力が高いため、攻撃の間合いを測る心理的攻防も見事でした。

 テニスをするすべての人間のあこがれの場所、ウィンブルドンセンターコート。かつて私も憧れました。私たちの時代は、ローズウォール、レーバー、ニューカムといったオーストラリアンテニスの全盛期でした。そこにBVCが殴り込みをかけます。B:ボルグ、V:ビラス、Cコナーズです。その後、レンドルが出てきました。ニューカムとコナーズのウィナーズ・テイク・オールの試合を観た時は、まるでテニスボールがピンポン玉のように見え、自分たちのやっているテニスはいったいなんなんだと衝撃を受けたことを思います。世界のトップというのはまったくすごいものです。

 さて、昨日の続きです。最終回です。
謙こそが理想

 社長はやがて会長や相談役に退きます。「上九。亢龍悔有り」

 会社での地位は一番高くとも、すでに実権は社長に譲っています。そこで「亢龍悔有り」、亢とは高ぶるという意味で、いつまでも社長風を吹かしていると組織も混乱し、悔いを残す結果を招きます。周囲から疎まれて重役会議で放り出される例もありますが、自分の立場をよく弁え、謙虚になることで晩節を全うしなければなりません。『易経』にはここで「用九」、六段階すべてに共通する訓戒が記されています。

 「用九。群龍首(かしら)なきを見る。吉なり」

 初九から上九までの優れた人物を「群龍」と呼び、「首なきを見る」は、頭がどおにあるか分からない、即ち謙虚で高ぶらない様子。そういう態度を貫けば「吉なり」、終わりを立派に全うし、喜ばしいことだと説かれています。

 さらに次の一節が続きます。

 「天行(てんこう)は健なり。君子以て自ら彊(つと)めて息(や)まず 」

 天の運行というものは健全にして些(いささ)かの狂いもない。立派な君子はこの天行を真に受けて自ら努力して止まない。やむを得ずしてではなく、天の運行のごとく謙虚であり、努力を重ねるべしと説かれています。『易経』では謙こそが理想とされています。龍が天に昇っていくように、人が世に出て大いに活躍し、終わりを立派に全うするには、謙を貫くことこそが重要なのです。をはり

 伊與田先生、ありがとうございます。いつか天行の生き方をしたいものです。

自己都合 己のこだわり 捨て去りて 天の動きを 一身に受け

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このページは、宝徳 健が2013年7月 8日 06:47に書いたブログ記事です。

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