佐藤次郎

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 ウィンブルドンでマリーが優勝しました。寝ないで観ればよかった。フレッド・ペリー以来七十七年ぶりの英国人のウィンブルドン優勝者です。英国では、今、大騒ぎなのでしょうね。

 日本にもかつていました。
 フレッド・ペリーは、"イギリスのテニスの神様"として祭り上げられ、今なお尊敬を集め続けている名選手です。四大大会でシングルス通算「8勝」を挙げました。ウィンブルドン大会で三連覇を成し遂げています。

 我が國の天才テニスプライヤーは、佐藤次郎です。昭和八年(1933年)が佐藤の全盛期です全仏選手権とウィンブルドンで2大会連続ベスト4に進出しています。なんと、全仏選手権の準々決勝ではこのフレッド・ペリーも破っています。最高世界ランキングは三位です。

 佐藤の活躍を受け手この年十月に「テニスファン」という月刊雑誌が創刊されました。この頃から佐藤の健康状態に異変が見え始めます。佐藤は、海外遠征に出始めた頃から、慢性の胃腸炎に悩まされていました。しかし佐藤は、日本のエースとしての責任感が 強く、無理を押して試合出場を続行しました。日本庭球協会で主導権争いをしていた早稲田派幹部からのプレッシャーも大きく、当時「デビスカップ選手派遣基金」 を募集するに佐藤は必要不可欠な存在であり、どうしてもデ杯出場を辞退することができない背景もありました。そして、ついに・・・。

 佐藤は次の年二月に、「テニスファン」記者の岡田早苗との婚約を発表しました。三月二十日、佐藤はデビスカップの日本チーム主将として「箱根丸」でヨーロッパ遠征に出発しますが、その帰途にあった四月五日に、マラッカ海峡にて投身自殺をします。二十六歳の若さでした。箱根丸の佐藤の船室には、数通の遺書が残されていました。我が國にもこんな人がいたことを紹介します。


 命かけ 勝利目指して プレーする あまりにはかない 命のあかし

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このページは、宝徳 健が2013年7月 8日 23:13に書いたブログ記事です。

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