佐藤一斎先生の言志四録の二回目です。
「憤の一時は、是れ進学の機関なり。「舜何人ぞや、与(われ)何人ぞや」とは、方(まさ)に是れ憤なり」
「憤の一時は、是れ進学の機関なり。「舜何人ぞや、与(われ)何人ぞや」とは、方(まさ)に是れ憤なり」
「憤とは奮い立つ心、学問をするにも、何事を進めるにも、この気持ちが大切である。孔子の一番弟子 顔淵が発奮するときに言った『(古代の聖天子と言われた)舜も、自分も、同じ人間ではないか。出来ないことがあろうか』と言った言葉は、まさに憤の気持ちをあらわしたものである」
身が引きしまります。橋本佐内という偉人がいます。橋本佐内は十五歳の時に次の言葉を述べています。橋本佐内の啓発録からです。
一、稚心を去れ
二、氣を振え
三、志を立てよ
四、学と勉めよ
五、交友を択べ
十五歳です!近江聖人と言われた中江藤樹は、支那の古典 大学の「天子より以て庶人に至るまでいつにこれ皆身を修めるを以て本と為す」という言葉を十一歳の時に聞いて、感動して食事中に箸を落としたと言われています。
現代では、私のように五十半ばになっても未熟の極みの人間がいます。我が國國民は、退化してしまいました。國がよくなるわけがありません。せめて、自分たちの未熟さに気づきたいものです。
佐内あり 藤樹がかつて いた國が 心壊れて すべて壊るる
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