性分の本然、職分の当然

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 佐藤一斎先生の言志四録からです。

 「性分の本然を尽くし、職分の当然を務む。此(か)くの如きのみ」
 「人が生まれつき天から授かっている人間としての心、仁・義・礼・智・信の五常の道を誠意をもって努め、それぞれに自分に与えられている立場で、父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信と言った社会的人間としての義務・五倫の道を実践する。人はただそのように生きてゆけばいいのである」

 この言志四録は、SWDさんからいただいた本を参考にしています。その本のこの項に、中庸の言葉が載っていました。

「天の命ずる、これを性と謂い、性に率(したが)う、これを道と謂い、道を修むる、これを教へと謂う」

 中庸の有名な一文です。

 不埒な日教組による戦後の過った教育は、間違った意味の「個性」教育をしました。個性とは自分勝手なことをしてもいいということではありません。

 人には、天から与えられた性(役割)を全員が持っています。でも、身を律していかないとこの性がなかなかわかりません。人生という道場で事上磨錬し、まずは自分の性を見つけることが人の使命です。この自分だけの性を「天命」と言います。天命に逆らわずに生きることが道であり、天命をコツコツ果たしていくことが教えです。日教組の教育がいかに天命に逆らっているかがわかります。

 朝の言志四録は身が引き締まります。ちょっとお疲れモードだったので、よい機会でした。

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このページは、宝徳 健が2013年7月13日 04:00に書いたブログ記事です。

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