立志の功

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

 「立志の功は、恥を知るを以て要と為す」
 「志を立てて成功するためには、恥を知るという心構えが大切である」

 この意味がわかる日本人が少なくなっているのではないでしょうか?教育の荒廃です。

 まずは立志。志を立てることがわからない人が増えています。「やるのから、やらないのか」「やりたいのか、やりたくないのか」を考える前に「できるかどうか」を考えてしまう人がほとんどです。仕事をしていてそういう人に出会うとびっくりしてしまいます。「やるかやらないか」を決めるのが戦略です。つまり、志を立てること。出来るかどうかを考えるのは戦術です。

 次に恥の正確な意味を知っている人も少なくなっています。人間は志を立てると、今の自分と、その志を果たしていく自分のギャップに気づきます。志を立ててそれを達成した時の自分や、志を持って人生を歩んでいる人を「敬う」ようになります。敬うと、埋めなければならないギャップを持っている自分を恥じます。敬=恥です。

 つまり、志を持っていない人は、敬も恥も持っていません。ですから、志を持っている人から見たら恥ずかしい行為を、恥ずかしいとは思わず平気でやります。自分の愚かな行為に気づかずに。

 極論すれば、これは殺人などの悪事を働いても、それを悪いと思わないことと同じことになります。気づいていればまだ救われるのですが・・・。世の中でもっとも始末に負えないことです。

 立志は、かつての我が國國民であれば、身分・地位・職業を問わず、誰でもが持っていたことです。天子より以て庶人に至るまで、この立志を持っていた姿が、我が國の美しさであり、世界最古の國を生み出しました。今は・・・。悲しいことです。

 恥とは、他人に対してのことではなく、天・自分自身に対して恥ずかしいということです。

俯仰天地に恥じず。

 昔から良い言葉があります。

志を 立てると 敬がやってくる 恥と一緒に 己とらえる

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このページは、宝徳 健が2013年7月15日 02:40に書いたブログ記事です。

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