佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「能(よ)く人を容るる者にして、而る後以て人を責むべし。人も亦其の責(せめ)を受く。人を容るることを能(あた)わざる者は人を責(せ)むることを能(あた)わず。人も亦其の責(せめ)を受けず」
「能(よ)く人を容るる者にして、而る後以て人を責むべし。人も亦其の責(せめ)を受く。人を容るることを能(あた)わざる者は人を責(せ)むることを能(あた)わず。人も亦其の責(せめ)を受けず」
「人の意見や忠告を寛容に受け容れる度量の持ち主であって、初めて人の欠点を責めることが出來る。又、そういう人の言葉ならば、責められる人もその責めを受け容れるものである。人の意見を受け容れる度量のない人は、他人の欠点を責める資格はないし、また責められる方もそれを受け付けないものである」
似たような内容が南洲翁遺訓にあります。
「學に志す者規模を宏大にせずばある可(べ)からず。去りとて唯ここにのみ偏倚(へんい)すれば或いは身を修するに疏(そ)に成り行くゆえ終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち男子は人を容れ人に入れられては済まぬものと思えよ」
似たような内容が南洲翁遺訓にあります。
「學に志す者規模を宏大にせずばある可(べ)からず。去りとて唯ここにのみ偏倚(へんい)すれば或いは身を修するに疏(そ)に成り行くゆえ終始己れに克ちて身を修する也。規模を宏大にして己れに克ち男子は人を容れ人に入れられては済まぬものと思えよ」
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