ササン朝ペルシャ

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 高山正之先生は格好いいですね~。先生の著書からちょっと紹介。高山先生の本は何度読み返しても面白い。 

 イランをアラブの國と思っていらっしゃる方も多いと思います。ユダヤ教徒やキリスト教徒やイスラム教徒も真っ青になる文明を誇っていたのが昔のイランです。ササン朝ペルシャといいます。
 韓國みたいに、何千年経っても民族の華が咲かない、見るも無残な、同情さえ誘うようなところもあります。でも、こんな民族だけでなく、早咲き遅咲きは民族によってさまざまです。

 イラン辺りのセム族は、ユダヤは紀元前に咲きました。ただし、我が國のように平和を志向した民族はほとんどなく(他の民族とも)、他の民族は民族間で血で血を爭いました。ユダヤはユダヤで団結しました。アラブはイスラム教を戴いて勢力を拡大しました。誕生から三十年目に、中東の雄 ササン朝ペルシャを倒しました。

 ペルシャはかなり高度な文明を誇っていました。独自の暦も持っていました。

 なんといっても、ゾロアスター教でしょう。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、結局このゾロアスター教の焼き直しです。ちょっと面白いので研究し始めました。ゾロアスター教には最後の審判や処女の救世主懐胎神話もあります。

 つまり、イスラム教というのは、ゾロアスター教の孫宗教です。そんなのに滅ぼされてはペルシャ民族は我慢がならなかったでしょう。

 イスラム教徒は、当初年貢を払えばイスラム改宗か死かの選択を逃れるようにしました。でも、大帝国ペルシャの民の誇りは、そんなことをされてもありがたがらず、アラブ人を馬鹿にしました。

 我慢がならないイスラム教徒は、ペルシャの民にイスラム改宗を義務付けました。さらにペルシャ人の誇りを潰して被征服者であることを自覚させようとしました。

 民族の誇りが世界史から喪失される瞬間です。つづく

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このページは、宝徳 健が2013年8月24日 04:37に書いたブログ記事です。

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