性と質

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「性は同じゅうして質は異なり。質の異なるは教(おしえ)の由(よ)って設くる所なり。性の同じ気は、教の由って立つ所なり」
「人の本性は同一であり、気質が異なる。この気質が異なるところが教育の必要な理由であり、本性が」同じであるところが教育が成り立つ理由である」


 論語にも「性相近し、習相遠し」とあります。

 よく「私は引っ込み思案なのです」「私はこれは苦手です」「私は本を読むのが苦手です」「私は手紙を書くのが苦手です」「私には決断力が不足しています」などなどと言う、なんか、自分の欠点が第三者の責任のような表現をする人がいます。

 これは天や神様に喧嘩を打っている言葉です。

 だって、生まれた時から引っ込み思案だと決まっていますか? 本を読むのが苦手と言うレッテルを貼られて生まれてきたのでしょうか? すべて、自分が人生の中で、自分自身で選択してきた結果です。つまり、性(天から与えられた使命)はどの人間も持っているのに、それを果たさないで当たり前と言う質を自らが作ってしまっていることになります。不埒な日教組による戦後の過った教育はこのことを「個性」と呼びます。まさに天に喧嘩を売る教育をしてきました。

 個性とは、自らが天から与えられた使命を見つけ、それをコツコツと果たしていくことを意味します。今使われている、勝手気ままにやる事が個性という意味とは、まったく違います。

 教育の本質とは何か。それは、①面白かろうが面白くなかろうが、自分が天から与えられた使命の見つけ方を教えること、②与えられた使命を見つけたら、それを果たす力のつけ方を教えていくこと、③天命を果たすための知識を教えていくこと、です。

 自分の子供をブランド化し、大学を就職予備校ととらえるような馬鹿な教師や親は、天に喧嘩を売る子供を育てています。こんな奴らに育てられた人間が官僚や政治家や企業人になって、我が國がよくなるはずがありません。

  憲法と教育を変えていける日本人になりましょう。

天からの あたへられたし 使命にて 道を歩むが 人の生き方

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このページは、宝徳 健が2013年8月31日 10:18に書いたブログ記事です。

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