明朝、ブログをかいてから、出掛けます。HAIR MAKE WASHAW(美容サロン)の計画合宿に明日明後日と行きます。猪名川の山の中なので、イーモバイルが使えません。
恐らく、アイパッドは使えるので、簡単なメール返信はできますが、書類添付などができません。申し訳ございません。
野菜は季節性が強く、昔は冬になるとほとんど青物は姿を消していました。だから、夏、秋にとれた野菜を漬物にして貯蔵し、冬に備えるのが一般家庭の習わしでした。
この年は、慶応義塾塾長をやられた小泉信三先生がお亡くなりになりました。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人は最も当(まさ)に口を慎むべし。口の職は二用を兼ね。言語を出し、飲食を納(い)るる是(これ)なり。言語を慎まざれば、以て禍(か)を速(まね)くに足り、飲食を慎まざれば、以て病を致す。ことわざに云う、禍(わざわい)は口より出で、病は口より入ると。」
今は、七十二候 秋分 次候 「蟄虫坏戸」です。「すごもりのむしをとざす」と読みます。
虫が土中に掘った穴をふさぐ頃だからだそうです。
この年は、なんといっても文化大革命が本格化した年です。文化大革命自身は昭和四十年に始まっていますが、この年から本格化しました。よく、人間がこんなことを考えつき、人間が人間に対してこういうことがでいるのかとゾッとする思いです。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人を教うる者、要は須(すべか)らく其の志を責むべし。聒聒(かつかつ)として口に騰(のぼ)すとも、益無きなり」
私が生まれた昭和三十三年を起点としてその後の昭和史を振り返っています。少し、自分史を組み込みながら。
この年は、私が小学校に入学した年です。枚方市立殿山(とのやま)第一小学校です。
昨日まで小浜に行ってきました。
地方は素晴らしい。金太郎雨になってしまっている大都市と比べて、地方には歴史と文化と情緒があります。心がなごみます。
以前にも書きましたが、小浜に「遠敷」という町があります。「おにゅう」と呼びます。平成二十四年六月十四日のブログに書いてありますので、右下の月別アーカイブでご確認ください。
遠敷をなぜこう呼ぶのかもここに書いてありますが、別に「遠くまで黄金を敷き詰めた、秋の実りの豊かな土地」という意味もあるそうです。
ここに若狭一宮神社があります。
先日NHKで、「他民族を差別するな」というパレードがあったというニュースが報道されていました。
さすがNHK(日本破壊協会)です。
差別には二種類あります。正当差別と不当差別です。
♪休憩~~~♪
ふ~、仕事がだいぶはかどったけど、まだまだ終わらない。ちょっと休憩します。
最近やり出した糠床です。いいですよ~。どんどん自分のものになっていきます。今は、キャベツとアスパラです。
昔は我が國のどこの家でも、娘がお嫁に行くときは、家の糠床を分けてもたせたものでした。あの美しい文化はどこにいったのか。日本人と漬物の縁は切っても切れません。だって、ぬかは「米」なんだもの。
かき混ぜると手が臭くなるというとんでもない女性がたくさんいますが、なんてことを。米ぬかは抗酸化性が強く、かき混ぜていると肌がつやつやしてきます。
素晴らしいですね。田村さんは。産經新聞の日曜日と月曜日は記事がスカスカなのですが、産經新聞日曜日の田村さんの経済解説だけは、毎週切り取っています。
いろいろなところが収集した情報と合せると、今回の消費増税は、昨日の記事の通りです。紹介しておきます。騙されないようにしましょう。「誰が正しいかではなく、何が正しいか」です!!!
それにしてもジャーナリストにも骨のある人がいるものです。高山正之先生、阿比留瑠比、福島香織、田村秀男・・・。我が國もまだまだ救われます。
安倍総理、がんばって!!! がんばって!!! 國を壊そうとしている人の言うことを聞く必要はありません。
昨日は、何年振りかで家族で外食をしました。といっても回転寿司ですが。大起水産です。息子が食べるわ食べるわ。見ていて気持ちよくなりました。若いことはいいことだ。
さて、昭和四十年の続きです。いろいとなことがあったのですね。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「処し難き事に遇(あ)わば、妄動することを得ざれ。須(すべか)らく機の至るを候(うかが)いて之に応ずべし」
今日から七十二候 四十六候 秋分 初候「雷乃収声」です。「かみなりこえをおさむ」と読みます。雷が鳴り響かなくなる頃です。
消費税増税はいずれ必要になります。でも、まだ今はその時期ではない。我が國のボトルネックはデフレです。デフレ解消が最優先課題であり、それがわかっていて安倍総理が取り組んでいるのに、それを官僚、政治家、メディアがすべて邪魔をして、安倍さんを丸裸にしています。
毛沢東が行った愚かな政策「大躍進運動」の続きです。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「吾れ古今の人主(じんしゅ)を観るに、志の文治に存する者は必ず業を創(はじ)め、武備を忘れざる者は能(よ)く成るを守る」
しばらく書いていませんでしたね。今は、七十二候「白露(はくろ」末候 「玄鳥去(つばめさ)」です。
今日で、ブログを書き始めて八年が経過しました。元々、このブログは、自分の考えたことや覚えたこと、触れたことを忘れないために書き留めることから始めました。思いもかけず、たくさんの方々に読んでいただけるようになりました。心から感謝申し上げます。
これからも「誰が正しいかではなく、何が正しいか」を追求することをこのブログのテーマにしていきます。
一度、このブログは壊れました。壊れた時の記事をかなり復活できていません。
また、ブログの主催者がどんどんバージョンアップ(有料)するので、検索ができなくなったり、カテゴリー保存ができなくなったりしています。
でも、書き続けます。壊れた時の記事も少しずつ復活させます。
また、八年間の記事を時々振り返ってみます。今後とも、よろしくお願い申し上げます。これまでご愛読いただき、心から感謝申しあげます。
ごめんなさい。文化大革命の事を描こうと思ったのですが、昭和四十一年からですね。では、この文化大革命の前段である、史上最高な愚かな人間毛沢東がやった「大躍進政策」をご紹介しましょう。2011年8月7日に、ブログで書いた記事を編集しています。
私が生まれた昭和三十三年を起点に、その年々の歴史を振り返っています。時々、自分史を加えながら。
この年のオロナミンCは100円です。今とあまり変わっていません。高級品だったのですね。「新聞少年」という歌が流行りました。もちろんこの頃はまだ私は自覚していませんが、小学校六年生から新聞配達を始めた時にこの歌を知りました。山田太郎という歌手が歌っています。
♪僕のアダナを 知ってるかい 朝刊太郎と 云うんだぜ 新聞くばって もう三月 雨や嵐にゃ 慣れたけど やっぱり夜明けは 眠たいなア♪
♪今朝も出がけに 母さんが 苦労をかけると 泣いたっけ 病気でやつれた 横顔を 思い出すたび この胸に 小ちゃな闘志を 燃やすんだ♪
♪たとえ父さん いなくても ひがみはしないさ 負けないさ 新聞配達 つらいけど きっといつかは この腕で つかんでみせるよ でかい夢♪
今の甘ったれた私たち現代人にはこの歌の真の意味が理解できるのでしょうか?
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「民は水火に非ざれば生活せず。而れども水火又能(よ)く物を焚溺(ふんでき)す。飲食男女は、人の生息する所以なり。而れども飲食男女又能く人を戕害(しょうがい)す」
仕事がふんだんにあります。ちゃんと期日までにやらないと「ここに座れ」という声が聞こえて来そうですが、クライアント訪問から帰ったばかりで、ちょっとリズムを整えないと仕事に着手できません。
それと、明日の朝はブログが書けそうもありません。
今、明日の分のブログを書きながらリズムを整えます。
いつも偉そうに日本語の事を語っていますが、私も間違った使い方をしていました。
「二宮金次郎の幸福論 中桐万里子 致知出版社」は素晴らし著作です。中桐さんは二宮金次郎の七代目の子孫でいらっしゃいます。
二宮尊徳翁は、江戸時代、六百以上の荒廃した農村を復興させました。私もこのぐらいの仕事がしたい。六百以上の中小零細企業のお役に立ちたい。
この著作は、尊徳翁の言葉が紹介されており、それを中桐さんが解説しています。こういうのもありました。
私は文科系の人間ですが、数学、物理、化学という自然科学が大好きです(内容が高度になると理解できませんが)。何より美しい。自然科学は、人間と自然を調和させる学問です。なのに、自然科学を自然を破壊する技術にしたり、人間を破壊するITにしたりしています。いずれ天の裁きを人類が受ける日が來るでしょう。
この年は、朝永振一郎博士がノーベル物理学賞を受賞されました。それまでも我が國は、ノーベル賞級の発明はたくさんあったのですが、アメリカが盗んでいきました。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人は明快灑落(めいかいしゃらく)の処無かる可(べ)からず。若(も)し徒爾(とじ)として萎縮趑趄(いしゅくしそ)するのみならば、只だ是れ死敬なり。甚事(なにごと)をか済(な)し得む」
賛同していただける方は是非、お願いします。左翼が意見を入れていますが、賛成派はほとんど入れていません。
このブログでも士魂商才でも繰り返し述べてまいりました。もう、いい加減にしてほしい。
「させていただく症候群」です。
今日から昭和四十年を紹介します。私が六歳から七歳になる年です。小学校一年生です。小学校は大阪府枚方市立殿山第一小学校です。いまだに校歌を覚えています。子供の頃覚えたことは忘れないのですね、この学校の歴史は古い。学校の歴史は後日紹介しますが、枚方から御殿山にかけては素晴らしい歴史の遺跡があります。「渚の院」です。「伊勢物語 第八十二段 渚の院」に登場します。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「信を人に取ること難(かた)し、人は口を信ぜずして躬(み)を信じ、躬を人ぜずして心を信ず。是(ここ)を以て難し」
一昨日のブログで、朝日、讀賣、日経、NHKのことを書きました。毎日と産經は?というご質問をいただきました。毎日新聞にはもう存在感も存在意義もありません。ミッションもビジョンもない。ただ赤いだけです。う~ん、なんてつけようか?考えておきます。
産經も最近は頼りない。昨日と今日の産經新聞なんて、読むところがほとんどありません。ただし、産經には、阿比留瑠比、田村秀男、福香織(今はフリー)などの綺羅星の如く輝く記者がいます。体制に慮らず、どうどうと正義を主張する彼らには共感が持てます。
あっそうだ、夜郎自大の朝日、詭道の讀賣、大本営の日経、曲学阿世の毎日でどうでしょう?NHK?
日本破壊協会で十分です。
さて、私はブログや士魂商才を書くために、切抜きとかコピーが大量にあります。掃除をしていたらたくさん出てきます。面白い記事があったので、忘れないうちに書いておきます。
昭和三十九年の続きです。私が、五歳から六歳になる時です。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「急迫は事を敗(やぶ)り寧耐は事を成す」
昨日、ひょうんなことから桃太郎の歌を聞きました。びっくりしました。
昭和三十九年の東京オリンピックのとき、女子バレー「東洋の魔女」を金メダルに導いたのは大松監督です。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「需は雨天なり。待てば則(すなわ)ち霽(は)る。待たざれば則ち沾濡す」
明日の朝から、歩くか走るかします。出張のときと朝早く出るとき以外は!!!!
体力つけんと百八歳まで生きられん!
さあ、いよいよ昭和三十九年です。東京オリンピックです。我が國が高度経済成長でひたはしるときです。東海道新幹線開通もこの年です。夢の超特急ひかり号と言われました。男の子はほぼ例外なく新幹線のおもちゃを持っていました。あこがれの職業のひとつに「ひかり号の運転手」がありました。
東京オリンピックのメダル数は、アメリカ、ソ連に次いで我が國は三位でした。「こんな小さな國なのに、すごいな~」と感動したことを覚えています。ただし、テレビで観たものとその後テレビ番組で繰り返し報道されたものが記憶の中で混在しています。
昨日の新聞はひどかったですね~。まずは、國賊朝日新聞。
今日は、亡くなった母の誕生日です。そういえば、IKさんの奥様も今日がお誕生日ですね。おめでとうございます。
母は平成七年七月十日に亡くなりました。享年六十二歳。何度もこのブログで書いていますが、繰り返し書くことをお許しください。
我が國國内だけではなく、世界でもいろいろあったのが昭和三十八年です。若い方は知らないかもしれませんが、昭和の年数に二十五を足して19を前につけると西暦になります。
三十八+二十五=六十三。ですから昭和三十八年は1963年となります。
ジャーナリストにもこのような方がいらっしゃるのですね。元日本経済新聞記者、現産經新聞記者 田村秀男氏です。田村さんの著書「アベノミクスを殺す消費増税」は一読に値します。
この年に、ソ連の女性宇宙飛行士が女性で初めて宇宙飛行に成功しています。「私はカモメ」でしたっけ?有名な言葉は。テレシコワさんです。
名神高速道路も開通しました。次の年の東京オリンピックに向けて着々とインフラが整備されている我が國でした。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「雲烟(うんえん)は己(や)むを得ざるに聚(あつま)り、風雨は己むを得ざるに洩れ、雷霆(らいてい)は己むを得ざるに震う。斯(ここ)に以て至誠の作用を観る可(べ)し」
昭和三十八年は、ラーメンが55円だったそうです。ボーリングブームもこの時始まったとか。確か、私が小学校六年生の時もかなりのブームだったのでは? 中山律子さんという美人プロボーラ―が活躍していたような記憶があります。
この年の最大の事件はJFK暗殺でしょう。
このぶろぐの過去記事を検索できない方のために、過去の記事をたまに掲載しています。平成二十三年十二月二十三日掲載分です。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人は少壮の時に方(あた)りては、惜陰(せきいん)を知らず。知ると雖も太(はなは)だ惜しむには至らず。四十を過ぎて後、始めて惜陰を知る。既に知るの時は、精力漸(ようや)く耗(もう)せり。故に人の學を為(おさ)むるには、須(すべか)らく時に及びて立志勉励するを要すべし。しかざれば則(すなわ)ち百たび悔ゆるとも又竟(つい)に益無からむ」
今日は新聞休刊日・・・。あんなにぼろくそに言っているのですが、新聞がない朝はさびしい・・・。期待しているから文句を言っているのです。我が國のメディアよ。早く目を覚ませ。
宮崎駿という人が、ニュースに出まくっていますが、あの人、何がすごいの???? 反日左翼ですよね??? さっぱりわかりません。
ブラック企業という文字も最近メディアでよくみます。これに関する記事はあまり詳しく読まないのですが、労働基準法がなんとかかんとか。天下の悪法である労働法を基準にして企業をはかるなよ。だいたい、働かされ過ぎたと文句を言う社員はほとんど企業にとって使い物になりません。仕事を何と考えているのか。金を稼ぐ手段かい。それとも自分の人生かい。「この仕事は自分に合いません」という人がよくいます。内臓がねじれるほど驚きます。仕事が自分に合わせてくれるのか???? はあ~~~~?
自分が仕事に合せるのです。若いうちは寝食を忘れて働けよ。自分の気に入らない事でも、自分にとって天職と思うぐらい働いてから文句を言うように。
世の中がおかしくなっています。メディアがそれを報道するから。
まあいいや、昭和三十八年の続きです。
毎年書いている気がしますが(笑)。
今日は、五節句の一つ重陽の節句です。
人日(じんじつ)の節句:一月七日:七草粥
上巳(じょうし)の節句:三月三日:ひな祭り
端午の節句:こどもの日
七夕(しちせき)の節句:七夕
重陽(ちょうよう)の節句:菊の節句
です。
時々行く和食店の大将が糠床を分けてくださいました。天にも昇る気持ちです。うれしくてうれしくて。
えっ?たかだか糠床の事で大げさではないかって?
昨日の各新聞はカルテルでも結んでいるかのような同一報道がありました。「(消費税増税は当然だと言っているくせに)新聞には消費税を適用しないように」とのことです(笑)。
あんたらが、財務省にこびへつらっているのは、このことだろ? でもね。
※今年はあと百十六日。今日も自分自身を創造できますように。
なんだか、読む価値がある新聞がなくなってきました。昨日の讀賣新聞なんて、どこをどう読めばいいかまったくわかりません。すぐに捨てました。
私が四歳から五歳になる年です。幼稚園に入りました。牧野幼稚園です。ネットで検索したらまだあるのですね。へーーーーー。
※今年はあと百十八日です。正しい生き方が出来ますように。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「本然の真己(しんこ)有り。軀殻(くかく)の仮己(かこ)有り。須(すべか)らく自ら認め得んことを要すべし」
胸が張り裂けんばかりの悲しいことが二つあります。それを正しいことのように報道するメディアと、受け容れる愚かな國民・・・。我が國はいったいどうなるのでしょうか?
士魂商才第六十八号が完成しました。本日、読者の皆様へ送付します。
六十八号は八月・九月合併号としました。
また、士魂商才が今月で創刊七周年となりました。ここまで続けてこられたのも読者の皆様のお蔭です。心から感謝申し上げます。
巻頭言だけ紹介しておきます。
もう、九月四日なのですね。速い、早い。もっと自分を鍛え上げないと。
昭和三十七年というと、なんといっても、我が國発の國産飛行機YS-11の試験飛行が成功しました。我が國の航空機技術を恐れた占領軍は、我が國の敗戦後、飛行機の製造を許しませんでした。感激もひとしおだったでしょう。空の貴婦人と言われたYS-11です。
※今年はあと百十九日です。人間らしく生きられますように。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「士は独立自身を貴(たっと)ぶ。熱に依り炎に附くの念起こすべからず」
昨日はキューバ危機を書きました。米ソが核実験を再開した年でもあったので、世界中に恐怖が走りました。他にはどんなことが起きたのでしょうか?
※今年は後百二十一日。今日こそ自己都合が出ませんように。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「己を喪えば斯(ここ)に人を喪う。人を喪えば斯に物を喪う」
私の愛する心の恋人 稲田朋美さんが、今、すさまじい事をやろうとしています。明治維新以来初めてのことです。
キューバ危機について書きます。
※今年は後百二十二日。今日こそ力強く生きられますように。
史上最悪の國連事務総長がなにかほざいています。サッカーの試合で、お隣の民族が何かほざいています。
事実を送りましょう。平成23年12月22日にこのブログで掲載した記事です。
佐藤一斎先生の「言志四録からです。
「士は当(まさ)に己れに在る者を恃むべし。動天驚地極大の事業も、亦都(す)べて一己(いっこ)より締造(ていぞう)す」