機の至るを候いて

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「処し難き事に遇(あ)わば、妄動することを得ざれ。須(すべか)らく機の至るを候(うかが)いて之に応ずべし」

「処理の難しい問題に出合ったならば、妄(みだ)りに動いてはいけない。じっと待って、好機の到来するのに応じて、対策をとるべきである」

 まさに貧すれば鈍するをやるなということです。易経では、陰の時期は、良い子とも悪いこともすべて受け入れろと説きます。これを度量といいます。人は、新しいことを考えたり、行動したりする「器量」はよく考えるのですが、この度量を意識しないため失敗を繰り返してしまいます。

 易経「機を知るはそれ神か。君子は機をみて作(た)ち、日を終うるを俟(ま)たず」。

 企業でも、売上をあげるとか制度を作るとか新商品を開発するとか、器量の会議や研修はよく見られますが、度量を考える場がほとんどありません。度量はすぐに効果が出ないからです。度量は積み重ねの中でしか、身につかないことから、あまり受け入れられないのですが、器量と共に、磨く必要があります。最近、ようやくそういうことが分かりかけてきました。

度量もて 器量と共に 明日のため 積み上げ重ね 身につけるまで

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このページは、宝徳 健が2013年9月23日 00:41に書いたブログ記事です。

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