明治節

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 本日は、文化の日ではありません。明治天皇の御誕生日です。明治時代の天長節です。
 昨日、産經新聞の正論を書かれていたのは、新保祐司さんは、出光興産時代の先輩です。今は、大学教授をされています。一緒に仕事をしたこともありました。

 その新保さんが「正論」で、島崎藤村の「夜明け前」の一節を紹介していました。「帝が群臣を従えてこの辺鄙な山里をも歴訪せらるるすずしい光景は、街道を通して手に取るように伝わってきた」

 明治天皇が木曽路などを巡幸されたときのことです。

 今日の産經新聞の産經抄もいいですね。

 明治二年に書かれた田山花袋の「田舎教師」に「天長節」のお祝いが描かれているそうです。もちろん明治時代は11月3日が天長節です。否かの小学校で、先生と生徒たちが登校、村長や父兄も集まってきます。教育勅語の箱が置かれた行動で「君が代」を合唱します。生徒たちが神に包んだお菓子をもらい「莞爾(にこにこ)して」帰ると、先生や村長らは餅菓子なので茶話会を開きます。それだけでは収まらない「田圃の中の料理屋」に繰り出します。ビールを飲みながら、村長と校長は今年の豊作について話をしている。庭には大輪の菊の花が咲き、遠くに枯草を燃やす烟(けむり)があがる。

 新保さんは、「すずしい」とは、「清々しい」という意味だとおっしゃっています。「明時代は『すずしい』時代であった」と。本来の我が國は、「すずしい」國でなければならないと。

 明治の精神を回復しましょう。清々しい國にしましょう。そのためにも、正しい歴史や國軀を知り、國民レベルで、十一月を「明治節」にする運動を起こしましょう。

 十一月二十三日も、勤労感謝の日だなどと、愚かな呼び方をするのはやめましょう。我が國にとって、最も大切な日の一つです。新嘗祭です。

 それにしても、なぜ、大正天皇の御誕生日は祝日ではないのだろうか?

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このページは、宝徳 健が2013年11月 3日 16:39に書いたブログ記事です。

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