佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「閑想客観(かんそうかくかん)は、志の立たざるに由る。一志既に立ちなば、百邪退聴(ひゃくじゃたいちょう)せん。之を清泉湧出(せいせんゆうしゅつ)すれば、旁水(ぼうすい)の渾入(こんにゅう)するを得ざるに譬(たご)う」
「閑想客観(かんそうかくかん)は、志の立たざるに由る。一志既に立ちなば、百邪退聴(ひゃくじゃたいちょう)せん。之を清泉湧出(せいせんゆうしゅつ)すれば、旁水(ぼうすい)の渾入(こんにゅう)するを得ざるに譬(たご)う」
「無駄な想念を抱いたり、外物に心が囚われて振り廻されてしまうのは、しっかりとした志が立っていないからである。志がしっかり確立していれば、多くの邪念は退散し服従するものである。これを譬えるならば、清らかな泉が湧き出しているところに、その傍らを流れる水が入り混じることが出來ないようなものである」
私は、まだまだです。
私は、まだまだです。
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