丹後七姫

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 散りぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ

 どなたの歌かご存知ですか?
 そう、細川ガラシャです。ガラシャの辞世の歌です。丹後七姫の三人目は、細川ガラシャです。

 細川ガラシャは明智光秀の娘です。明智玉です。

 本能寺の変で明智光秀が主君 織田信長を討ちました細川藤孝の嫡男 細川忠興に嫁いで幸せな日々を送っていた玉の生活が一変します。豊臣秀吉に裏切り者と思わせないため、忠興は、玉を単語反応に幽閉してしまいます。

 京丹後市弥生町味方野です。



 玉はその地で、寂しさとつらさから、なんとなんと、あんなキリスト教の洗礼を受けてしまったのです。ここから細川ガラシャになります。

 その後、秀吉に許されて忠興と暮らすことになりますが、忠興にはもう側室がいました。

 関ヶ原の合戦の前夜、東軍に加担する武将の性質を人質にとろうとした西軍の軍勢が大阪の細川屋敷を急襲した際に、人質にとられてはならないと、ガラシャは屋敷に火を放ちます。キリスト教では自殺が出来ないので、ガラシャは付き人に胸を突かれて絶命しました。享年三十八歳です。

 ところで、本能寺の変は実は・・・・。

「本能寺の変 四百二十七年目の真実」という本があります。もう一度読もうかなあ。明智光秀の子孫である明智健三郎氏著です。この本は面白い。

 確かにこの事変は矛盾だらけです。えっ? どんな内容かって? 知らない方がいいでしょう。ご自分でお読みください。

 もし、本能寺の変がそうなら、美しい玉はキリスト教徒なんかにならず、幸せな生涯を送ったのでしょう。秀吉も悪いやつ・・・。おっと、内容は秘密、秘密。

真実の 陰に隠れて 自らの 人生重ね 世を辞すること

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このページは、宝徳 健が2013年11月24日 08:10に書いたブログ記事です。

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