百人一首 4

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 今日は、山部赤人です。この歌にもいろいろあります。私が中学? で初めてならった時は、

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

でした。ところが、百人一首では、

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪が降りつつ

となっています。


 万葉仮名では「田児之浦従打出而見者真白衣不尽能高嶺尓雪波零家留」です。これをそのまま読むと前者の歌となります。

 そんなに差がないとおっしゃるかもしれませんが、前者の「雪は降りける」だと、「雪が降っていたんだなあ」です。「雪がふりつつ」だと「雪が今も振り続けているよ」です。つまり、山部赤人が富士山に今、雪が降り続いている情景を観ていることになります。

  田子の浦から富士山は、よく見えますが、でも、いくらなんでも雪が降っているところまで見えるほど近くはありません。正岡子規が、新古今和歌集をこき下ろ しているのは写実主義ではないからです。実際に観て、心を揺り動かされたものを詠まないと、和歌自身がダメになってしまうと子規は主張します。

 藤原定家は、百人一首編纂に当り、あえて幻想的な世界を載せたかったのでしょうけれど、子規が同時代に生きていたら、ぶっとばされているでしょうね(笑)。

  昨日は、岐阜市内から、伊吹山が美しくきれいに観えました。この歌の真似をしようと思ったのですが、田子の浦にあたるところが岐阜には・・・・。あるので しょうけど、車を運転しながら観たので、「〇〇ゆ」と云えない自分がもどかしい。でも、なんとか真似できないかなあ。挑戦。

澄み渡る 冬のみ空に 真白にぞ 伊吹の高嶺に 雪は降りける

 ダメだこりゃ。修行が足りない。

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このページは、宝徳 健が2014年1月 6日 23:53に書いたブログ記事です。

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