今日は、喜撰法師(きせんほうし)の歌です。
わが庵は、都のたつみ しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり
これまでの歌は奈良時代の歌です。喜撰法師から平安時代の歌になります。
とても謎めいた人物で、本名、出自、履歴、生没年などはいっさい不明です。喜撰法師の作だとわかっている歌も、この一首しかありません。にもかかわらず、彼は六歌仙のひとりに数えられています。たった一首で後世に名を残すなんてすごいですね。
この歌は掛詞が面白い。
「世をうぢ山と」は、法師が住む「宇治山(京都)」と「世を憂し」が掛けられています。両方の意味を入れて解釈すると「世の中を憂し(つらい)と感じ、そのつらさから逃れるために宇治山にひきこもった」となります。でも、それはあくまでも世間のうわさで、私はそうは思っていません。というのが歌の種子です。宇治山は当時人里離れたさびしい場所でした。自分はそこで気楽な生活を楽しんでいるのに、世間の人々の同情なんてよけいなお世話だということです。
「しかぞ住む」もそうです。「住む」と「澄む」の掛詞です。「このように鹿もいる地に澄んだ気持ちで住んでいる」です。この法師凄いですね。
とても謎めいた人物で、本名、出自、履歴、生没年などはいっさい不明です。喜撰法師の作だとわかっている歌も、この一首しかありません。にもかかわらず、彼は六歌仙のひとりに数えられています。たった一首で後世に名を残すなんてすごいですね。
この歌は掛詞が面白い。
「世をうぢ山と」は、法師が住む「宇治山(京都)」と「世を憂し」が掛けられています。両方の意味を入れて解釈すると「世の中を憂し(つらい)と感じ、そのつらさから逃れるために宇治山にひきこもった」となります。でも、それはあくまでも世間のうわさで、私はそうは思っていません。というのが歌の種子です。宇治山は当時人里離れたさびしい場所でした。自分はそこで気楽な生活を楽しんでいるのに、世間の人々の同情なんてよけいなお世話だということです。
「しかぞ住む」もそうです。「住む」と「澄む」の掛詞です。「このように鹿もいる地に澄んだ気持ちで住んでいる」です。この法師凄いですね。
コメントする