藤原定家が編纂したと云われる百人一首。子供の頃覚えたものです。かるた遊びで百人一首をやりました。姉にいつも負けて悔しい思いをしていました。
すぐれた和歌が多いので、紹介していきます。というか、私自身の和歌の勉強のためにも。
すぐれた和歌が多いので、紹介していきます。というか、私自身の和歌の勉強のためにも。
秋の田の かりほの庵(いほ)の 苫(とま)をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ
天智天皇の御製です。天皇陛下の和歌の事を御製と云います。
「秋の田圃のほとりにある仮小屋の、屋根を葺いた苫の編み目が 粗いので、私の衣の袖は露に濡れていくばかりだ。」
これを習ったのは中学校の時だったかなあ、たしか高校の時ではなかったか。覚えているのは、先生が「天皇(福岡は日教組が強かったので彼らは天皇陛下とは言わない)が、こんな庵に留まるはずがない。これは、天智天皇の作ではないという説が有力だ)」と云ったのを覚えています。
なんでもいいよ。こういう発言をする人を愚か者と云います。古代日本人がなぜこの歌を天智天皇の御製にしたのかを調べもせずに、「庶民と共にある天皇陛下」という図式を崩そうとするのが左翼です。國體破壊です。
本当のところは、これは最初「詠み人知らず」でした。
一方で天智天皇は、平安時代には、皇室中興の祖としてとても尊敬されていました。周りの人が、そういうイメージから周りの人が自然と、この歌を天智天皇の御製にしました。真実を伝えるなら、ここまできちんと伝えることが大切です。天皇家と國民が一体であった我が國の國體をきちんと伝えること。
和歌は我が國最大の財産の一つです。今、安倍さんが必死になって我が國を取り戻そうとしています。それが実現する最大のポイントは、國民がそれについていけるかどうかです。本当の我が國を知りましょう。
では、拙首を。昨日、伊吹山がきれいでした。
淡海路を すぎればそこに ま白にぞ 伊吹の山に 雪がふりつつ
ちょっと盗作(笑)。
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