百人一首 十二

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 百人一首の中で、私が一番好きな歌です。

天(あま)つ風 雲の通(かよ)ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばしとどめむ

 私の感想は後にして、この歌を理解するには、「五節(ごせち)の舞姫」というなんとも情緒のある言葉を知る必要があります。

 天武天皇の時代に、天女が空から舞い降りてきて、天武天皇の前で踊ったという伝説があります。
 それにちなんで、宮中で毎年「豊明(とよのあかり)の節会(せちえ)」という行事が行われるようになりました。この行事の中では、選ばれた未婚の貴族の娘たちが四~五人、舞を披露するのが習わしでした。この娘さんたちのことを「五節の舞姫」と呼びます。

 さて、この歌を理解するために知っておく必要があることがもう一つあります。この歌の作者は僧正遍昭(そうじょうへんじょう)です。なんか偉いお坊さんのように聞こえます。確かに偉いお坊さんです。スケベなお坊さんだと思わないでください。

 藤原定家が、百人一首を編纂した時、亡くなった歌人については、最後の地位や身分で呼びました。この作者名僧正遍昭もそうです。

 僧正遍昭が、この歌を詠んだときは、まだ出家もしていない若い男性でした。良岑宗貞(よしみねのむねさだ)と云います。桓武天皇の孫にあたる名家の御司です。彼は、三十五歳の時に出家しました。自分を可愛がってくれた仁明天皇が亡くなったので、亡き天王を弔うために僧になったといわれています。

 その若き日の良岑宗貞が、宮中の「豊明の節会」に列席しました。そして「五節の舞姫」を観ました!!!

 「雲の通路」とは、天女が天に帰っていく路です。

「ああ、なんて美しい天女たちなんだ。風さん、風さん、この美しい天女たちが天に帰る路を塞いで帰れないようにしておくれ。私にもっと天女を観せておくれ」という意味です。

 小学生のころに百人一首に初めて触れて、中学校・高校とあまり触れなくなって、大学生の時に、再度百人一首とかかわりを持った時、「なんて美しい歌なんだ。昔の人は凄いなあ。美しい女性を観ると、それを天女に見立てて、こんなきれいな歌が詠めるんだ。今の、自分たち國民は、こんなセンスは持っていない」と感動したことを覚えています。

 こういう事実ひとつとっても、今の私たちが、我が國史上最悪の社会を作りだしてしまっていることがわかります。 

 私も美しい女性を観たらこんな歌を詠めるようになりたいな。最も、今の女性に和歌を送っても理解されないでしょうけれど(笑)。

古代には 降りた天女は いまいずこ 雲の通路 いまはいずこに

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このページは、宝徳 健が2014年1月24日 05:01に書いたブログ記事です。

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