今回は、戀(恋)多き一途な女性である伊勢の歌です。
難波潟(なにはがた) 短き葦の ふしのまも あはでこの世を すぐしてよとや
作者は女性です。お父さんが藤原継蔭(ふじわらのつぐかげ)で、その役職が伊勢守(いせのかみ)だったので、彼女がこう呼ばれています。この歌を詠んだ当時は、宇多天皇の中宮(妻)である、藤原温子(ふじわらのおんし)に仕える身でした。
その温子の兄である藤原仲平と戀(恋)仲になった伊勢ですが、やがて仲平に捨てられます。傷心の伊勢ですが、その後宇多天皇の寵愛を受けます。天皇との間に生まれた子は、残念ながら夭折(ようせつ:早くなくなる)します。でも、天皇の退位後に宇多天皇の子 敦慶親王(あつよししんのう)をの間に生まれた娘、中務(なかつかさ)は、伊勢の地を引いて歌の才能を発揮します。伊勢も中務も三十六歌仙です。
さて、この歌、
「難波の潟にはえている葦の、節と節との間ぐらいの短い時間さえ会えないのね。そのままこの世を過ごしていけとおっしゃるの?」
という恨み節です。相手は、おそらく最初に振られた藤原仲平です。
伊勢の最初の戀の相手。伊勢も燃えたのでしょうね。
でも・・・。女性に怒られるかもしれませんが、仲平は、伊勢の強すぎる愛情をうとましく思ったのではないでしょうか。
戀多き女性 伊勢の生きざま。平安時代とは、人が戀に生きられるほど、平和だったのですね。
戀多き 乙女を巡る 男たち 愛の強さに 感じる何か
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