夫人の齢四十

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。珍しく女性の事について言及されています。

「夫人の齢(よわい)四十も、亦一生変化の時候と為す。三十前後猶お羞(しゅう)を含み、且つ多くの舅姑(きゅうこ)の上に在る有り。四十二至る此(ころ)、鉛華(えんか)漸く褪せ、頗(すこぶ)る人事を料理す。因って或いは賢婦の称を得るも、多く此の時候に在り。然れども又其の漸く含羞(がんしゅう)を忘れ脩飾(しゅうしょく)する所無きを以て、則ち或いは機智を挟(さしはさ)み、淫妬(いんと)を縦(ほしいまま)にし、大いに婦徳を失うも、亦多く此の時候に在り。其の一成一敗(いっせいいっぱい)の関すること、猶お男子五十の時候のごとし。預(あらかじ)め之が防を為すことをしらざる可(べ)けんや」


「女性の四十歳も、變(変)化の起きる時期である。三十前後はまだ恥じらいがあり、家庭には舅や姑がいて身を慎むが、四十歳ごろになると、化粧をする気持ちも褪せ、人の世話や処理が上手になる。そのため賢婦人と呼ばれるようになるのも、多くはこの時期である。しかしその一方で、恥じらいがなくなり、容姿にも気を付けることもおろそかになり、その場しのぎがうまくなり、身を持ち崩す者も出てきて、婦徳を大いに失うのもこの時期に多い。婦徳を全うできるかどうか、男子の五十歳のころと同じようである。予めこれを承知していて防ぐことを考えねばならないのではなかろうか」

 「娘」とは「良い女」と書きます。年齢を重ねて「嫁」になると「家の女」です。また重ねて「姑」となります。「古い女」。でも、女性は男性の永遠の憧れの対象です。私は、女性は四十歳を過ぎたころからが本当に素敵になると思っています。

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このページは、宝徳 健が2014年2月20日 02:54に書いたブログ記事です。

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