旧假名遣いと正しい漢字

| コメント(0) | トラックバック(0)
 子供のころ(小学生のころ)、父の書棚から三島由紀夫の「潮騒」を盗み讀んだことがありました。「まだそんな本は早い!」と怒られると思って(しょっちゅう怒られていたので敏感になっていた:笑)、びくびくしながら讀んだのを覺えています。

 ちょっとエッチな内容(子供にしては)だったので、ドキドキしました。でも、なかなか讀み進むことができませんでした。そう旧假名遣いと正しい漢字だったからです。なんだかとっても悲しくなりました。今でもその時の気持ちははっきりと覺えています。

 父母や祖父母と違うことを学校で習ってきた哀しさ、父母や祖父母たちの時代が創り上げたものを引き繼げない哀しさ。そう、私たちは、時代を斷絶してしまったのです。かつてのあの素晴らしい我が國 日本を引き繼いでいません。我が國史上最惡の状況を作ってしまった私達。それに氣づいていない私達。

 國民一人ひとりが、かつての素晴らしい日本人を志向すれば、我が國が抱えている問題など、一氣に解決します。そのためには、まず「國語」と「歴史」です。これを國民が徹底的に學ぶことです。

 私はそのための修行を命が閉じるまで續けます。私の唯一の目標は「かつての立派な日本人になること」です。
 悪という字は惡でした。ちょっと今、外でこのブログを書いているので、なぜ変化したかを調べることができません。私の寳物のひとつに白川静香先生の「字通」「字統」があります。語源ならず字源を調べることができます。いずれ紹介しますね。

 今日は、四惡を紹介しましょう。

 国を治める上での四つの惡事

虐:教えないでおいて、罪を犯せば殺すこと
暴:戒めないでおいて、成功を求めること
賊:命令をおろそかにしておいて、期限を厳重に守らせること
有司:与えるべきものを与えないこと

 経営も同じですね。

 では旧假名遣いに入ります。

 みなさんは、昔の人(こう呼ぶこと自体がおかしいのですが)は、なぜ蝶を「てふ」と呼んだんだろう。おかしなことだ、と思われるでしょう。私の父母や祖父母の時代は、「ちょう」と発音して「てふ」と書きました。何の違和感もなく。我が國に假名が出来たころからの心を引き継ぎながら。

 では、もしかしたら、時代が進んで、未来の日本人は「ちょう」を「ちょお」と云うように変化したとします。そうするとその人たちは云うでしょう。「平成の日本人は、「ちょお」を「ちょう」って云ってたんだって。変なの」って。

 世界で最も美しい言語である日本語。書いてある通りではなく、歴史上、そう発音すると決まっていたものを、敗戰後の私達がぶち壊しました。

 言葉を引き繼げない民族は滅びます。神話を引き繼げない民族は滅びます。

 ましてや、フィギュアスケートの金メダリストが「よく滑れました」「すごいうれしいです」などと云うなど・・・。どんな快挙も色あせます。多くの人が云います。「最近は、みんなそう云っている」と。民主主義の愚かさがもろに出ています。亡國の考えです。まだ日の丸の赤いところに字を書いている愚か者がはびこっています。TVのオリンピックを観る氣がなくなります。

美しき ことまで壊す 行ひを 認める愚かさ 歩みの否定

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5204

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年2月21日 00:45に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「吾人の工夫」です。

次のブログ記事は「契冲(皇紀二千六百七十四年二月二十日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。