旧假名遣いと正しい漢字。

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 歴史を斷絶させる行為は、今、生きている人間の最大の罪です。歴史を斷絶するから、直情的になり、得た經験や知識を巧く使うことが出来なくなります。つまり、自分をコントロールできない人間の集まりになります。他人の責任にする人間ばかりができます。

 私たちは、歴史を連続させる使命を負います。どういうやり方で歴史を連続させるかは人それぞれ違います。自分がどういう方法で歴史を連続させるかを探し出すのが「使命」であり、そしれ、それを果たすのを「個性」と呼びます。今、教えられている「個性」という意味はまったく違っています。

 では、今日の漢字です。「圍」。今の漢字で、なにかわかりますか?

 「囲」です。

 我が國では、京都御所をご覧になっていただいてもわかる通り、一族の長である天皇陛下のお住まいが、あんなに低い塀で圍まれています。平和であったことを表す最大の事実です。かつて、我が國を訪れたイギリス人にそれを説明したら、彼は、意味を理解できませんでした。

 奪い合って足りなくした社会を作った彼らには理解できないのかもしれません。我が國は「分け合って余らせてきた國」です。これを互譲互助と云います。武士道の精神です。

 ところが支那では、事情が一変します。常に外敵から身を守ることが必要です。ですから、支那の都市は城壁に圍まれています。國という字もそうです。人間が集団で生きていると、「或いは」他の集団に襲われる危険性が高まります。なので城壁で圍みます。漢字の「口」は城壁を意味します。だから「國」となります。

 圍も同じです。この周りの「口」は、城壁を意味します。韋は、足跡という意味です。口の上下に足跡を加えて城郭をめぐるという意味です。自分たちの足跡を侵されたくなかったのでしょう。

 例えば、韋に行を加えたら衛になります。口、つまり、城壁の巡回して衛(まも)ることです。違は、偏がしんにょうです。しんにょうは「ちゃく」という偏です。めぐる行為を云いますが、上下異なる方向にめぐるので、違(たが)う、違(ちが)うとなります。糸を加えたのが緯で。上下めぐるように横糸をめぐらせる。緯度がそうですね。

 漢字はこのように覺えると、とても興味がわきます。今の學校教育は、勉強が嫌いになる教へ方をしています。つまり、教養がベースにないつめこみとなります。なので直情的な人間が育ってしまい、信じられない事件が次々と起こります。

 次に旧假名遣いです。今日も読み方の訓練です。「歴史的假名遣い教室」というURLを参考にしています。

「このことは、中・高校だけで教育ををはる人々の成長をはばんでゐるだけでなく、大學に進んだり、インテリと目されたりする人々の精神力の健康さもむしばみ、我が國の文化の實質をまことに脆弱なものにしてゐます。單なる博識以上の根強い思索力、判斷力、および確かな技術にささられた教養を必要とする我が國の將来にとつて、これは眞劍に憂慮されなければならない事態であるといなければなりません」

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このページは、宝徳 健が2014年2月28日 02:42に書いたブログ記事です。

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