誰をかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに
藤原興風(ふじわらのおきかぜ)の歌です。
「年老いた私は、誰を長年の友人にしやうか。私と同じ年をとった高砂の松の老木さえ、昔からの親友ではないと云ふのに」
年老ひた作者の周りで、ひとり、またひとりと親しい友人たちがこの世を去つてゐきます。ふと氣づくと、自分一人だけが取り残されています。自分と同じぐらい生きてゐるのは、長寿で有名な高砂の松くらひですが、話し相手にもなりません、この先いったい誰を友とすればよひのか。老人の寂しさがよく現われている歌です。
高砂の末は、播磨の國(兵庫県高砂市)の高砂神社の境内にある、区と末と赤松がひとつの根からはえている相生の老木のことです。播磨の高砂といへば松の名所。現代は五代目だそうです。
「年老いた私は、誰を長年の友人にしやうか。私と同じ年をとった高砂の松の老木さえ、昔からの親友ではないと云ふのに」
年老ひた作者の周りで、ひとり、またひとりと親しい友人たちがこの世を去つてゐきます。ふと氣づくと、自分一人だけが取り残されています。自分と同じぐらい生きてゐるのは、長寿で有名な高砂の松くらひですが、話し相手にもなりません、この先いったい誰を友とすればよひのか。老人の寂しさがよく現われている歌です。
高砂の末は、播磨の國(兵庫県高砂市)の高砂神社の境内にある、区と末と赤松がひとつの根からはえている相生の老木のことです。播磨の高砂といへば松の名所。現代は五代目だそうです。
コメントする