佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「勸學の方は壹(いち)ならず。各(おのおの)其の人に因りて之を施す。稱(称:ほ)めて之を勸(すす)むること有り。激して之を勸むることあり。又稱めず激せずして、其の自ら勸むを待つ者有り。猶お醫人の病に應じて剤(くすり)を施すに、補瀉(ほしゃ)壹ならず。必ず先ず其の症(やまひ)を察して然するがごとし」
「勸學の方は壹(いち)ならず。各(おのおの)其の人に因りて之を施す。稱(称:ほ)めて之を勸(すす)むること有り。激して之を勸むることあり。又稱めず激せずして、其の自ら勸むを待つ者有り。猶お醫人の病に應じて剤(くすり)を施すに、補瀉(ほしゃ)壹ならず。必ず先ず其の症(やまひ)を察して然するがごとし」
「學問を勸める方法の壹つに限つたものではない。學問を勸める相手の状態に應じて考えるべきで、ほめて勸める場合もあり、また、ほめることも勵ますこともしないで、本人が自分でやる気を起こすことを待つこともある。これは丁度(ちやうど)、醫者が病に應じた薬を渡すのと同じで、或る人には補養剤を與へ、或る人には下剤を與へるやうなものである。誰でも壹樣ではなく、その病の状態によって適した藥を與へるやうなものである」
經營にも同ぢことが云へますね。
經營にも同ぢことが云へますね。
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