百人一首 四十五

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哀れとも いふべき人は おもほえで 身のいたづらに なりぬべきかな
 謙德公の歌です。

 拾遺集に載つているこのうたの詞書(ことばがき)は、「ものいひはべりける女の、後につれなくてはべりて、さらに逢はずはべりけれ」(言い寄つた女性が冷たくなつて逢つてもくれなかつた)です。

「私のことをかわいそうといつてくれる人は、誰も思ひ浮かばず、私は思いこがれてむなしく死んでしまひさうです」

 戀(恋)の歌ばかりが續くので少し辟易としていたのですが、そうではないですね。平安時代は戀の歌ひとつも讀めないことは無粋で、戀に惱み、果てには死んでしまう男の方が男らしいとされていました。平安時代の人々が、恋愛に消極的な今の男をいたら、「なんと女々しいやつだろいう」と思ふのでせう。

 考えてみたらさうですね。戀とは男と女の戰爭のやうなものです。う~ん。

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このページは、宝徳 健が2014年4月20日 06:24に書いたブログ記事です。

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