今回の歌をご理解いただくには、ちよつとだけある背景を知つておく必要があります。「河原院」といふ邸宅のことです。
河原院は、百年にわたり王朝文学に登場します。「百人一首 十四」に登場した源融(みなもとのとおる)が造営した豪華絢爛な別荘です。源融は、陸奥國(現在の東北地方)に赴任したときに見た塩竃の浦(松島のことです)の海浜風景が忘れられず、わざわざ海水を運んでその風景再現した廣大な庭を造り、そこで盬(塩)づくりまでして楽しんだと云ひます。
ところが、源融の死後約八十年もたつと、この邸宅は荒れ果てた寺になりました。当たり前ですよね。こんなもの維持できない。
八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えぬ 秋は來にけり
「つる草が生い茂るこのさびしい住まいに、訪れる人は誰一人としていないが、それでも秋はやつてきたのだなあ」
恵慶法師(えぎょうほうし)の歌です。河原院のことを詠つてゐます。
この歌が詠まれた頃、河原院には源融の曾孫にあたる安法法師(あんぽうほうし)が住んでゐました。恵慶法師は、安法法師の友人です。彼らは河原院に集まり、歌を詠みあひました。
河原院は、この後さらに荒廃が進みました。今昔物語では、人を喰らふ鬼が住んでゐたとされます。
「むぐら」=「つる草」です。「八重」=「たくさん重なる」です。なので「八重むぐら」は、つる草が生い茂つてゐる状態を表します。世の中のはかなさが詠まれています。
コメントする