歴史的仮名遣ひと正しい漢字

| コメント(0) | トラックバック(0)
 歴史の事實(事実)やこの言葉の遣ひ方など、なんでこんな面倒くさいことをと思はれる人もいらつしやると思ひます。普通(?)に現代語で書けばよいぢやないかとも思はれる人も多いことでせう。

 だめなんです。眞實(真実)を追求するモチベーションが一度巻き起こると元に戻せなくなります。

 「嘘でも、みんなが普通(?)にやつているから、その嘘を信じればいいじゃないか」「眞實を追求するモチベーションなど不要ではないか」と云ふ考え方は私の中では起きません。

 このブログから離れていく方も多くあるかもしれません。しかし論語で云ふ

「德不孤 必有隣(德は孤ならず 必ず隣あり)」

です。必ずこれからの我が國を正しく導こうといふ人もいると信じてをります。嘘の事實を以てよしとする生き方を追求していくことは私にはできません。

 それにまだまだ知らないことがたくさんあります。それを知りたい。眞實に触れるとドキドキします。これを「保守の感覺」といふのでせう。

 今日の漢字は「價」です。今の文字は進化していつてゐるのではありません。退化していつてゐるのです。
 「価」の正しい字です。

 「つくり」の部分は「覆う」と云ふ意味です。價ですから、つくりの下は「貝」でお金(財)を表します。つまり、價とは、人が財を覆う(財をしまつておき商ひをする)意味となります。なので、商売をする時の價格の意味になります。

 「貝」が省略されてしまつたら「人を覆う」意味となり、なんのことやたさつぱりわからなくなつてしまひます。

 次に歴史的仮名遣ひです。習うより慣れろです。福田先生のご著書を學んでゐます。

「「現代かなづかい」や「当用漢字」を制定した國語攷良論者たちは、日ごろ文學者を目の敵にして、その反對の基調をなす「文學主義」ないしは「唯美主義」を攻撃し、大衆を味方に「實用主義」の宣傳に努めてをりますが、これは一種の作術であります。あるいは彼らの保身術に過ぎません。私自身、戰後の國語改革に反對するのは、それが「非文學的」であるからではなく、「非語學的」であるからです。


トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/5334

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2014年4月26日 02:50に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「人を欺かざる者」です。

次のブログ記事は「天使のわけまえ(皇紀弐千六百七十四年四月廿五日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。