恕と譲

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「怨みに遠ざかるの道は、壹箇(一箇)の恕の字にして、爭ひを息(や)むるの道は、壹箇箇の譲の字なり」
「人から怨まれないやうにする道は、恕の壹字(一字)、つまり思ひやりの心である。爭ひごとを止める道は、譲の壹字、つまり自らはりくだる譲るといふ態度にある」

 恕は、孔子も最も大切なことだと云つてゐます。

 私は、互譲互助と云ふ言葉に初めて触れた時、なんとも云へない感動が體(体)中を走りました。我が民族の素晴らしさがこのひとつの言葉に集約されてゐるやうに感じました。欧米のやうに「奪い合つて足りなくする」社会ではなくて、「分け合つて餘らせる」國。

 どろどろの人間社会の中で、私達民族の先輩たちは、だうやつて、こんなに素晴らしい社会を築いていつたのだらうか??? 敬服します。

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このページは、宝徳 健が2014年4月27日 04:36に書いたブログ記事です。

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