得意の時と失意の時

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「人、得意の時は輒(すなわ)ち言語饒(おお)く、逆意の時は卽ち聲色を動かす。皆養の足らざるを見る」
「人といふものは、得意の時には饒舌になり、失意の時には聲(声)や顔に真鍮の動揺が出るものである。これらは皆修養が足りないことを表わしている」

 昔、宇佐美の親父さんと仕事のお付き合ひがあるころ、どんなことが起きても、いつも同じ宇佐美の親父さんを観て「あ~、この人はきつと何も怖いものがないだらうなあ。生きる達人だ。いつか自分もなつてみたい」と思つたことがあります。今の、私はまだまだですね。眞劍に生きていない。

 この言志四録は、SWDさんからいただいた本を參考に書いています。その本の今日の所に、素晴らしい言葉が書いてありました。紹介しておきます。崔後渠(さいこうきょ)といふ明末期の書物です。訳は安岡正篤先生です。以前、弊社月刊誌 士魂商才でも紹介しました。

六然
自処 超然 自分自身は何ものにも捕われず
処人 藹然(あいぜん) 何人に対しても好意に富み
有事 斬前(ざんぜん) 事件があればきっぱりして
無事 澄然(ちょうぜん) 何事もない時は澄み切って
得意 澹然(たんぜん) 得意の時はあっさりしいて
失意 泰然(たいぜん) 失意の時はゆったりと

 支那といふ地は、時々かういふ素晴らしい人物がでるのですが、結局は実現できず、ただの理想論になつてしまひます。妬み嫉みで周りが足を引つ張るからです。かわいさうに。

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このページは、宝徳 健が2014年4月28日 02:28に書いたブログ記事です。

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