私の事務所で、IKさんの会社の戦略会議をやつて、みんなが帰つて・・・。長い時間やつたので、ちよつとリズムを變ようと、ご飯を食べたり、ビールを一杯だけ飲んだり、TVを観たりしてゐました。
すると、NHK(日本破壊協会)の大越健介がまたやつてゐました。左翼とは、はつきりと表明はしないのですが、暗に人を陥れるのがうまい。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人各々長ずる所有り、短なる所有り。人を用ふるには宜しく長を取りて短を舎(す)つべく。自ら処するには當(当:まさ)に長を忘れて以て短を勉むべし」
明日から七十二候 二十四候 小満 末候 麦秋至です。「むぎのときいたる」と讀みます。
麦が実りの時を迎へます。秋は、収穫といふ意味です。
明治初期、臺灣(台湾)と樺太で事件が起きます。我が國臣民が、この兩地で、支那人とロシア人に凌辱されたのです。その時の、大日本帝國政府は、まだ弱小国であつたにもかかわらず、徹底的、清とロシアに抗議します。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人こと事(こと)を共にするに、渠(か)れは快事を担ひ、我は苦事を任ぜば、事は苦なりと雖も、意は則ち快なり。我は快事を担い、渠れは苦事を任ぜば、事は快なりと雖も、意は則ち苦なり」
弊社月刊誌 士魂商才 第七十五號の原稿がもう少しで出来上がります。今日の發送には間に合はないかも・・・。
巻頭言だけ紹介しておきます。
「正しい歴史を知っている、それだけで殺す十分な理由になる」これは世界の常識です(嫌な常識ですが)。太古の昔から、人間を人間として扱つてきたのは、我が國だけです。他國では、人間は権力者のおもちゃ扱いでした。我が國臣民では考えられない拷問や奴隷制度・・・。欧米人がなぜ、「人と人との結びつき」を信じられず、「神との契約」によつてのみしか生きられないことがよくわかります。
かわいさうな支那人と朝鮮人は、それさへもありません。
我が國では、天皇陛下の下、すべて「臣民・公民」でした。ですから奴隷制度ができるはずがありません。世界で唯一です。
「怖くて読めない世界史」を讀みました。なんとまあ、すさまじいこと。よくもかういう風に人間を扱うことが出來るものです。
GW中に、ノーベル文学賞受賞作 パール・バックの「大地」を讀みました。
まあ、「最近の」ノーベル賞は、文学賞と平和賞はでたらめですが。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人は苦樂無き能(あた)はず。唯だ君子の心は苦樂に安んじて、苦あれども苦を知らず。小人の心は苦樂に累(わずら)はされて樂あれども樂を知らず」
時々、變な記事が出ますが、産經は充実してきました。相變らずねつ造の讀賣と大きな違いです。
慰安婦問題に眞劍に取り組んでいる姿には頭が下がります。
古事記を理解するのにこんなに面白い本を他に知りません。
今日の漢字は「學」です。今の漢字「学」ではまつたく何の意味か分かりません。略字を推進している人は、せつかくの文字と歴史と文化を破壊してゐる人です。略字を「文字の進化」と云ふ人は、本當(本当)の漢字の素晴らしさを知らない。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人は恥無かる可(べ)からず。叉悔無かる可からず。悔を知れば則(すなは)ち悔無く、恥じを知れば則ち恥無し」
ちょっと司法が横暴すぎます。今日の新聞は讀んでいられませんでした。彼らは一體(一体)何様のつもりでせうか? 原発問題、自衞隊機差し止め問題・・・。
國を壊す司法は不要です。馬鹿な國民一人一人の云ふことを聞いていたら國家は成り立ちません。
古事記を讀みませう。古事記を讀めば、我が國がだうやつて成り立つて來た國かがわかります。國家公務員上級職試験、外交官試験、司法試験には古事記は必須にしなければなりません。アホに國家運營をさせてはだめです。
もう、小満なんですね。今は、七十二候 二十二候 小満 初候 「蚕起食桑」です。「かいこおきてくわをくう」と讀みます。 蚕が桑を盛んに食べ始めるころです。
今でもやつているのでせうか?かつての出光興産では「家族会」なる催しがありました。
安倍首相が集団的自衞權について言及した次の日の五月十六日の新聞は傑作でした。久しぶりに新聞トップ記事が同じと云ふのも珍しいですね。
朝日新聞と毎日新聞は相変わらずでした。左翼である共同通信の記事をそのまま真似る(特に社説)地方紙も、頭がおかしいのではないかと思う記事ばかりでした。
この歌は素晴らしいですね。
拾遺集にある歌です。拾遺集の詞書には「大覺寺に人あまたまかりたりけるに、古き滝を詠み侍れける」とあります。そう、歌の舞台は、京都嵐山の大覺寺です。JR山陰本線嵯峨野駅で降りて北へ行くと大沢池があります。そのほとりです。ここは、かつての嵯峨上皇の離宮です。この歌が詠まれた頃は、すでに滝は枯れてゐました。昔の滝を偲んで詠つたものですが、この作者が詠つたために、かえつてこの滝が「名古曽(なこそ)の滝」と呼ばれ有名になりました。
五月十五日~十六日と小浜に行つてきました。もちろん仕事です。毎月、一回~二回行きます。仕事がとても廣がつてきました。
十五日の夜、小浜市のとても楽しい催し物がありました。その名も「はしご酒」大会。
五月十六日から七十二候 二十一候 立夏 末候 「竹笋生」です。「たけのこしょうず」と讀みます。
テニスの錦織選手が、堂々の世界ランキング十位以内に突入しました。素晴らしい。男子は選手層がかなり厚く、十位以内といふのはもうトッププレイヤーと呼んでも差し支へないでせう。
男子テニスは百位以内に入るとテニスだけで生計を立てることができると云はれています。近年では、杉山愛選手が八位、伊達君子選手が四位と信じれれないポジションを獲得しました(男子では松岡修三選手の四十九位:男子ではこれでもすごい)。でも、男子の十位以内はすごい。
しかし、不勉強なメディアが「日本人男子初」とやつてゐました。確かに、ポイントランキング制度の内容は違ひますが、ゐたのです名選手が。ポイント内容が違ふと云ふなら、テニスの歴史をすべて否定することになります。フレッド・ペリーもジャック・クロフォードもケン・ローズウォールもロッド・レーバーもジョン・ニューカムも、そして、ジミー・コナーズもビヨン・ボルグもイワン・レンドルもギルモア・ビラスも。
いたのです。我が國臣民に世界ランキング3位の男が。
昨日から、七十二候 廿侯(二十候) 次候 立夏 蚯蚓出です。「みみずいずる」と讀みます。
蚯蚓が地中からゴソゴソ這い出る時期です。
まあ、なんとかまともでせいぜい讀めるのが産經新聞です。あとはもうだめ。讀む氣がしません。捏造や曲学阿世や事大主義ばかりです。
それに産經には、田村秀男や阿比留瑠依がゐます。彼らはすごい。
でも、その産經新聞でも・・・・・。
右大将道綱母(うだいしょうみちつな)の歌です。
嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くるまは いかに久しき ものとかは知る
フジテレビのアンカーで出ている青山繁晴を保守と思つてゐる人がたくさんいます。
「あなたの知らない日本経済のカラクリ」を読みました。著者は岩本沙弓さんです。結構好きな経済評論家です。四人の男性との對談方式となつています。
岩本さんはまあいいとして、四人の男のひどいこと(笑)。特に孫崎亨です。この人は、他の著作を讀んでも、何を云つてゐるか、さつぱりわかりません。東大を出て、どうやつたらこれだけアホになれるんだらう??? まあ、今の學校教育は嘘ばかり教へてゐます。その嘘をたくさん覺へて、嘘を解答して、良い點數をとつたのが、東大などの俗にいふ一流大學に行きます。そして、社会人になつて世論を煽動したり、間違つた方向へ導いたりします(もちろんさふではない人もたくさんいます)。「讀んでよかつた」といふ本ではありませんでした。お勧めしません。
さて、「ウェデマイヤーレポート」を讀み始めました。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「鋭進の工夫は固(もと)より易からず。退歩の工夫は尤も難し。惟(た)だ有識者のみ庶幾(ちか)からん」
数日前の新聞に「このままいつたら、弐千六十年には、國の借金が一京になる」といふ財務省主導の記事が乘つてゐました。もうそろそろ、この「國の借金」をやめませんか。「政府の借金、國民の資産」です。どうして新聞は嘘ばかりつくのだらうか。この一京についても、やりかえせよ。今のメディアは財務省と日銀にさからう術を失つてゐます。だから記事を捏造する。
今日の漢字は、「殼」です。略字體では「殻」です。一本足りませんね(笑)。
左半部は、音符で、ひもでつるした貝がら。動詞の記号「殳」を加えて、貝がらをこつこつたたく意味になりました。これが転じて、固いからの意味になつてゐます。なんで一本だけの線をとつたのでせうか?かういふことをやる國語関係者に憤りを感じます。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「形迹(けいせき)の嫌(けん)は、口舌(こうぜつ)を以て弁ず可(べ)からず。无妄(むぼう)の災は、智術を以て免(まぬが)る可からず。一誠字を把(と)て以て槌子(ついし)と爲すに如くは莫(な)し」
数か月前、息子と話しました。「なあ、〇〇、最近、三橋貴明と中野剛志がおかしくないか? 云つてゐることが支離滅裂になつてきたし、なんで、あんなに金融政策を批判して、財政政策一辺倒になるんだらう?だうして、あんな風になつたんだらう?」「父さんもそう思つた?俺も」
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「人の過失を責むるには、十分を要せず。宜しく二三分を餘し、渠(か)れをして自棄に甘んぜず、以て自ら新たにせんことを覔(もと)め使(し)べくして可なり」
素晴らしい本が手に入りました。もう、ドキドキです。ずっと欲しかった。「ヴェノナ」です。
佐藤一斎先生の「言志四録」です。
「致知の道は當(当:まさ)に厳中に慈を存すべし。母の道は當に慈中に減を存すべし」
川端康成先生の「雪國」を讀みました。いいですね~。この「川端康成集」は。昭和四十三年に上梓されてゐますが、まだ歴史假名遣ひです。
歴史的假名遣ひを學習していくと、「なるほどね」と思つてしまひます。日本人のDNAでせうか。リズムがとても良いし、氣持ちが良いのです。やはり、本來の言葉なのでせうね。
佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「親に事(つか)ふるみちは、己を忘るるに在り。子を教ふるの道は、己を守るに在り」