今日の漢字は「繪」です。
まずは「會」の説明から。甑(にしき)と蓋の象形文字です。甑は、米などを蒸す、支那のどきです。コメなどを蒸すので、みんながあつまります。集まる樣子を表しています。人が集まるので重ねるといふ意味もあります。
繪は、糸へんに會(会う・重ねる)です。糸を重ねて刺繍をしています。繪は、刺繍をした美しいものを示していました。それが筆を用いて描いたものでも「繪」を使ふやうになりました。
歴史的假名遣ひです。福田先生の本からです。
「私は昭和三十年、三十一年に金田一京助博士と論争の形式において、「現代かなづかい」と「当用漢字」の非なることを述べました。そのとき痛感したことですが、その私の所論は當事者、ならびに國語問題研究家をこそ刺戟しましたが、一般はただ喧嘩(けんくわ)好きの私が例によつて例の如く新しい喧嘩相手を見つけたくらゐにしか思つてくれなかつたことです。大抵の人が喧嘩の事實は知つてゐても、私の文章を讀んでくれてはゐないのです。しかも、論爭は「水掛け論」あるいは「泥仕合」の樣相を呈してきたなどといふものまで出て來る始末でした。讀んでいないから、さういふのであつて、問題は讀んでくれぬことにあり、讀んでくれないのは關心が無いからであります。私はかならずしも國語學の知識がないからだとは思ひません」
繪は、糸へんに會(会う・重ねる)です。糸を重ねて刺繍をしています。繪は、刺繍をした美しいものを示していました。それが筆を用いて描いたものでも「繪」を使ふやうになりました。
歴史的假名遣ひです。福田先生の本からです。
「私は昭和三十年、三十一年に金田一京助博士と論争の形式において、「現代かなづかい」と「当用漢字」の非なることを述べました。そのとき痛感したことですが、その私の所論は當事者、ならびに國語問題研究家をこそ刺戟しましたが、一般はただ喧嘩(けんくわ)好きの私が例によつて例の如く新しい喧嘩相手を見つけたくらゐにしか思つてくれなかつたことです。大抵の人が喧嘩の事實は知つてゐても、私の文章を讀んでくれてはゐないのです。しかも、論爭は「水掛け論」あるいは「泥仕合」の樣相を呈してきたなどといふものまで出て來る始末でした。讀んでいないから、さういふのであつて、問題は讀んでくれぬことにあり、讀んでくれないのは關心が無いからであります。私はかならずしも國語學の知識がないからだとは思ひません」
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