百人一首 六十

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大江山 いくのの道の 遠ければ まだふみも見ず 天橋立

 小式部内侍(こしきぶのないし)の歌です。これはたまらなく小粋な歌です。内情を知つたら、日本女性の優秀さがわかります。

 大江山はご存知ですか? 今では、このブログのバージョンが古くなつてしまひましたが、かつては右下のカテゴリーに格納することができました。過去、格納できていた頃の記事は今でも見ることができます。

 「短編小説」のカテゴリーに「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」と云ふものがあります(何回かのシリーズで)」。大江山の鬼退治のことを小話にしています。天橋立は云はずと知れた京都府宮津市にある日本三景のひとつです。 大江山は丹後半島のふもとです。さふです。この和歌は京都に居る小式部が、なぜか丹後半島の歌を詠んでゐます。
 小式部は、數囘前に照会した、我が國史上最大の戀多き女 和泉式部の娘です。

 歌が上手だつた母式部に似て、知性に溢れ、輝くばかりに若くてかはいらしい小式部は、宮廷の男たちの注目を集めました。かうなると、出て來るのが嫉妬です。心無い奴らから「小式部の歌はみんな母親の和泉式部が作つてゐる」と、根も葉もないうわさを流しました。

 母 和泉式部が夫の任地である丹後に下つていたとき、都で歌合せが行われることになり、小式部も歌人として招待されました。

 その歌合せの場である男が云ひました。「歌はできたのか? 母上に作つてもらへたのか?丹後へ使ひに行つた者はまだ母上から手紙を持つて來てゐないみたいだな。さあ、困つただらう」

 この嫌な奴の名前は藤原定賴と云ひます。百人一首 六十四で出てきます。五十八の大弐三位の彼氏です。

 さあ、小式部。この歌を詠みました。「大江山を越へて、いくのを通つてゐる道が遠いのえ、天橋立のその地を踏んだこともないし、母からの手紙なんて見ていません」

 「踏み」と「文」、「行く」と「生野」をかけてゐる、見事な歌です。とつさにかういふ歌が詠めるかつての我が國臣民はすごい。当意即妙、才気煥發。

 定賴は、返歌もできず、すごすごと立ち去つたやうです。

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このページは、宝徳 健が2014年5月30日 21:42に書いたブログ記事です。

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