いにしへの 奈良の都の 八重ざくら 今日九重に 匂ひぬるかな
この歌の逸話はたまらなく面白い。詠み人は伊勢大輔(いせのたいふ)です。お父さんが、伊勢神宮の祭主だつたので伊勢大輔と呼ばれてゐました。「百人一首四十九」の詠み人である大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)は祖父です。父の伊勢輔親(すけちか)は三十六歌仙です。卓越した歌人を輩出する大中臣家の娘でした。
そして、彼女自身も中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)に仕へてゐました。時は、平安王朝が隆盛を極め輝いてゐた十世紀末~十一世紀初めの一条天皇の御世です。
彼女が中宮彰子に仕へはじめて間もないある日のことです。奈良の僧都から八重櫻が献上されました。同じく彰子に仕へていた先輩の紫式部が、櫻の受け取りを、初々しい伊勢大輔に譲りました。
そればかりではありません。中宮彰子の父は、權勢を誇る藤原道長です。道長が、「では、せつかくだから、受け取るときに歌を詠みなさい」と命じたのでした。
プレッシャー
歌の名門一家に生まれ、周りからは「若き才媛」に對する期待と關心でいつぱいです。でも、彼女は歌ひあげました。
「その昔に榮た奈良の古都で咲き誇り、匂ひ立つてゐたであらう八重櫻。それが今日はこの宮中で、盛大に咲きこぼれていることよ」
「いにしへ」と「今日」、「八重櫻」と「九重(宮中)」を対比させ、櫻の美しさを讃へながら、皇室、道長一門の繁栄も讃へていて、響きも耳に心地よく美しいこの歌を詠んだのでした。歌を聞いた人々は感嘆し、興奮しました。
中宮彰子は、この歌に感激し、返歌を詠みました。
九重に にほふを見れば 櫻狩 重ねてきたる 春かとぞ思ふ
「宮中に櫻が咲き匂つて、お花見のやう。春が二囘來たみたいね」
なんともはや、かつての日本人には脱帽です。
いにしへの 臣が詠ひし 数々の かはすやりとり 今に遺さん
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