今回の漢字は「勸」「歡」です。ふたつとも「雚」がついてゐます。
「雚」は、「両目が強調された水鳥:コウノトリ」の象形文字です。
「歡」の時の「雚」は、「喚」に通じていて「呼ぶ」の意味になります。「欠」は「人が口を開けている」象形です。なので「歡」は、人が大声で呼び合ふ事を意味しています。そこから「よろこぶ」「よろこび:歓迎」「愛する」「したしみ:交歓」を意味する「歡」になりました。
「勸」の時の「雚」は、「援」に通じていて「助ける」意味になります。「力」は「力強い」の象形です。なので「たすけて行はせる」「すすめる:勧誘」「はげます」「よろこんで從ふ」「加わる」「つとめる:勉」を意味する「勸」になりました。
歴史的假名遣ひです。福田先生の本からです。
「ただ、その前に念を押しておきたいことがあります。いま私は歴史的假名遣ひの讀み書きを申しましたが、現實には讀みのはうは問題になりますまい。いかに現在の中學校・高等學校の古典教育や國語教育がいいかげんなものであつても、現在の靑年でかりにも本を讀まうといふ人たちなら、歴史的かなづかひで書かれたものに何の抵抗も感じてゐないはずです」
「歡」の時の「雚」は、「喚」に通じていて「呼ぶ」の意味になります。「欠」は「人が口を開けている」象形です。なので「歡」は、人が大声で呼び合ふ事を意味しています。そこから「よろこぶ」「よろこび:歓迎」「愛する」「したしみ:交歓」を意味する「歡」になりました。
「勸」の時の「雚」は、「援」に通じていて「助ける」意味になります。「力」は「力強い」の象形です。なので「たすけて行はせる」「すすめる:勧誘」「はげます」「よろこんで從ふ」「加わる」「つとめる:勉」を意味する「勸」になりました。
歴史的假名遣ひです。福田先生の本からです。
「ただ、その前に念を押しておきたいことがあります。いま私は歴史的假名遣ひの讀み書きを申しましたが、現實には讀みのはうは問題になりますまい。いかに現在の中學校・高等學校の古典教育や國語教育がいいかげんなものであつても、現在の靑年でかりにも本を讀まうといふ人たちなら、歴史的かなづかひで書かれたものに何の抵抗も感じてゐないはずです」
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