佐藤一斎先生の「言志四録」からです。
「昨日を送りて今日(こんにち)を迎へ、今日を送りて明日(みょうにち)を迎ふ。人生百年此(か)くの如きに過ぎず。故に宜しく一日(いちじつ)を愼むべし。一日を愼まずんば、醜(しゅう)を身後(しんご)に遺さん。恨む可(べ)し。羅山先生謂ふ。「暮年(ぼねん)宜しく一日の事を謀るべし」と。余謂う。「此の言淺きに似て淺きに非ず」と。」
「昨日を送りて今日(こんにち)を迎へ、今日を送りて明日(みょうにち)を迎ふ。人生百年此(か)くの如きに過ぎず。故に宜しく一日(いちじつ)を愼むべし。一日を愼まずんば、醜(しゅう)を身後(しんご)に遺さん。恨む可(べ)し。羅山先生謂ふ。「暮年(ぼねん)宜しく一日の事を謀るべし」と。余謂う。「此の言淺きに似て淺きに非ず」と。」
「昨日を送って京を迎へ、今日を送って明日を迎へる。人生百年生きたとしても、これの繰り返しに過ぎない。だからこそ、一日を愼ましく大切にしなければならない。一日一日を大切に愼まなければ、死んだ後に醜名を殘すことになり、残念至極のことである。林羅山先生がおっしゃった。「晩年になったら、その日一日のことだけを考えて生きればよい」と。私は「この言葉は淺薄のやうに思へるけれども、決して淺薄ではない。非常に深い意味がある」と思ふ」
うん、さふですね。さあ、今日も一日生きやう。
うん、さふですね。さあ、今日も一日生きやう。
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