歴史的假名遣ひと正しい漢字

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 今日は、徑()、經()、輕()、(頚)、、莖()、です。すべて「巠」が基本になつてゐます。
 「巠」は、意味は縦、よみは「ケイ」です。機織りの縦糸です。「圣」では全く意味が違つてきます。一體なにを考へているのでせうか? 惡意を感じます。

 徑の略字は径です。人が歩く姿に「巠」を足してゐます。だから「みち」といふ意味になります。

 經の略字は「経」です。上下にまつすぐに伸びる縦糸です。織物を織るとき、まず縦糸(經)を通します。その後横糸を通します。横糸で模様などをつけて行くのですが、縦糸がしつかりしてゐないと、横糸は通りません。いかに經營者がしつかりする必要があるかがわかります。

 輕は、まつすぐ走る戰車です。

 頸(頚)は、まつすぐな首です。

 脛(もう略字はいいですね)は、まつすぐな「すね」です。

 あとはいいですね。とにかく縦糸の「まつすぐ」です。「圣」の「叉の土」などではありません。略字は品がない。


 歴史的假遣ひです。福田先生の本です。

「たびたび私事をいふやうですが、いま中學一年の私の長男は學校で漱石の話を聞いてきたのでせう、夏休みに「坊ちゃん」と「吾輩は猫である」をたてつづけに讀み、大層おもしろがつてをりました。それらがいづれも歴史的かなづかひで書かれてゐることは申すまでもありmせん」





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このページは、宝徳 健が2014年6月11日 10:07に書いたブログ記事です。

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