高砂の 尾の上(へ)の櫻 咲きにけり 外山(とやま)の霞 たたずもあらなむ
権中納言匤房(ごんちゅうなごんまさふさ)の歌です。
「あの髙い峰にも櫻の花が咲いたことだよ。人里近い山の霞が、どうか立たずにいてくれたらなあ」
「高砂」は兵庫県播磨の國の地名ではなく、髙く積み重なつた砂、つまり髙い山のことです。「尾の上」は山頂のことで「外山」は標高が低く里に近いところです。櫻は里山から咲き始めて、山頂に向かつて徐々に山全體を染めていきます。
内大臣藤原師道の邸宅で開かれた宴会で、はるかに山櫻を望みながら詠んだ歌です。
匡房は、かなりの学者だつたさうです。白川院に重用され、学者としては異例の権大納言にまで昇進しました。
宮中の女房たちは、彼を堅苦しい男と思つてゐました。ちよつとからかつてやれ、と云ふことで、匡房に、「弾いてみてくださいな」と、あづま琴を差し出しました。樂器などを奏でるやうな風流なまねはできないと考えてのいたずらです。
すると、匡房は、
逢坂の 関のこなたも まだ見ねば あづまのことも 知らりざりけり
といふ歌で応へました。うまいですね~。この粋さを身につけたい。和歌は素晴らしい。
「逢坂の関の向こうには行つたことがまだないので、東(あづま)のことは、何も知りません」
あづま琴と 「東のこと」をかけています。うまいな~。この見事な切り替へしに女房たちは黙つてしまひました。
知的なやりとりですね。
小學校からあの、表音文字である英語を學んでも、情緒など育ちません。和歌の教育を徹底してやればいい。さうすれば、人を殺したり、ごみを捨てたり、順番を守らないなどといふ愚かな行爲などなくなります。
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