金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 私の歴史的假名遣ひと漢字がまだまだ未熟なことは氣づいてゐますし、時々間違ひがあるのも知つてゐます。

 そこで、習ふより慣れろ。不朽の名作家であり、不朽の名作である 三島由紀夫の「金閣寺」の文書を學習していくこととします。やはり三島文學は素晴らしい。變換(変換)できない字もあります。ご容赦下さい。


 今、出版されてゐる、三島由紀夫、谷崎純一郎、森鴎外、夏目漱石の作品はみんな現代假名遣ひとなつてゐます。これは、著者に對する冒瀆です。絶對にやつてはならないことです。これをやつた瞬間に、その作品が作品でなくなります。

 歴史の否定です。例えば大東亞戰爭を太平洋戰爭と呼ぶのと同じぐらい罪なのことです。
 幼児から父は、私によく、金閣のことを語つた。

 私の生れたのは、舞鶴から東北の日本海へ突き出たうらさびしい岬である。父の故郷はそこではなく、舞鶴東郊の志樂である。懇望されて、僧籍に入り、邊鄙(辺鄙)な岬の住職になり、その地で妻をもらつて、私と云ふ子を設けた。

 成生(なりう)岬の寺の近くには、適當な中學校がなかつた。やがて私は父母の膝下を離れ、父の故郷の叔父の家に預けられ、そこから東舞鶴中學へ徒歩で通つた。

 父の故郷は、光のおびただしい土地であつた。しかし一年のうち、十一月十二月のころには、たとへ雲一つないやうに見える快晴の日にも、一日に四五へんも時雨が渡つた。私の變りやすい心情は、この土地で養はれたものではないかと思はれる。

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このページは、宝徳 健が2014年7月 6日 08:46に書いたブログ記事です。

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