旧暦お盆の時期です。今は、八月をお盆とするところが多くなりましたが、東日本を中心に、今でも旧暦のまま七月十三日から十六日までの四日間をお盆とする地域がたくさんあります。
お盆は「盂蘭盆(うらーぼん)」が語源です。
宇佐美の親父が、私によく「人生はなぁ~、上り坂と下り坂とそしてもうひとつ坂があるんだ~。宝徳、知つてるか~?」と言つていました。答えは「まさか」です。このまさかに対応できる人間が強い人間です。
難しい言葉で倒懸(とうけん)ともいい、仏教の発祥地のサンスクリット語で「ウラーバン」と発声します。これが盂蘭盆になり、お盆になりました。
こんな話しがあります。お釈迦様の一番弟子の一人に「目連(もくれん)」という人がいました。目連には、神通力があつたやうです。その神通力で、 亡くなつた母が今どうしてゐるかを透視しました。するとなんということでせうか。地獄の餓鬼道に落ちてもがき苦しんでゐるではありませんか。生前、とて も優しく愛情深く賢かつた母が。目連は、その理由をお釈迦様に訴えました。お釈迦様はその訴えを長い時間お聞きになられました。目連は訴えてゐるうちに自 分自身の幼い頃を思ひ出しながら反省し始めました自分を立派な子供に育てるために、あるときは、他人の子供を蹴落としてまでのことをやつたのではないだろ うか。自分自身のために、罪深い自己犠牲をされたのではないだろうか。罪を犯させたのは、自分ではないだろうか。などなどの「まさか」に思いを深めたので した。
「まさか」の状態は、不安と緊張の状態です。誰しも、それをのがれて安心を得たい。でも、その「まさか」をいつも受け止めなければならない。お盆 には、祖先や愛した人のことを思い出します。その時に、自分のまさかを受け止めましょう。そのために、お盆には亡くなった方が歸つてきます。亡くなつた方 を 祀るのではなく、自分自身を受け止めるのがお盆なのかもしれませんね。
十三日の夕方に迎え火を焚いて、御先祖様の例を迎える。期間中にお墓參りや讀經、お供へなどで供養します。キュウリやナスを割り箸に挿した「精霊馬」は、昔、姉とよく作りました。そして十六日の夕方には送り火を焚いて、御先祖様に戻つてゐただきます。
敗戰後、我が國最大の強味である歐米型民主主義よりもはるかに優れた「家族主義」を、アメリカにぶち壊されてしまひました。それをまだ戻せていない我が國です。核家族になり、かういふ大切な行事がおざなりにされてゐます。悲しいことです。
コメントする