三島由紀夫の名作 金閣寺を敎材として、歴史的假名遣ひと正しい漢字を學んでゐます。つづきです。
・・・・・こんな一挿話が思ひ出される。
東舞鶴中學校は、ひろいグランドを控へ、のびやかに山々にかこまれた、新式の明るい校舎であつた。
五月のある日、中學の先輩の、舞鶴海軍気機關學校の一生徒が、休暇をもらつて、母校へあそびに來た。
彼はよく日に灼け、目深にかぶつた制帽の庇から秀でた鼻梁をのぞかせ、頭から爪先まで、若い英雄そのものであつた。後輩たちを前にして、つらい規律づくめの生活を語つた。しかもそのみじめな筈の生活を、豪奢な、贅沢づくめの生活を語るやうな口調で語つたのである。一擧手一投足が誇りにみちあふれ、そんな若狭で、自分の謙讓さの重みをちやんと知つてゐた。彼はその征服の蛇腹の胸を、海風を切つて進む船首像の胸のやうに張つてゐた。
彼はグランドへ下りるニ三段の大谷石お石段に腰を下ろしてゐた。そのまはりには、話に聽き惚れてゐる四五人の荒廃がをり、五月の花々、チューリップ、スヰートピイ、アネモネ、雛罌粟(ひなげし)、などが斜面の花圃(はなばたけ)に咲きそろつてゐた。そして頭上には、朴(ほほ)の木が、白いゆたかな大輪の花をつけてゐた。 つづく
東舞鶴中學校は、ひろいグランドを控へ、のびやかに山々にかこまれた、新式の明るい校舎であつた。
五月のある日、中學の先輩の、舞鶴海軍気機關學校の一生徒が、休暇をもらつて、母校へあそびに來た。
彼はよく日に灼け、目深にかぶつた制帽の庇から秀でた鼻梁をのぞかせ、頭から爪先まで、若い英雄そのものであつた。後輩たちを前にして、つらい規律づくめの生活を語つた。しかもそのみじめな筈の生活を、豪奢な、贅沢づくめの生活を語るやうな口調で語つたのである。一擧手一投足が誇りにみちあふれ、そんな若狭で、自分の謙讓さの重みをちやんと知つてゐた。彼はその征服の蛇腹の胸を、海風を切つて進む船首像の胸のやうに張つてゐた。
彼はグランドへ下りるニ三段の大谷石お石段に腰を下ろしてゐた。そのまはりには、話に聽き惚れてゐる四五人の荒廃がをり、五月の花々、チューリップ、スヰートピイ、アネモネ、雛罌粟(ひなげし)、などが斜面の花圃(はなばたけ)に咲きそろつてゐた。そして頭上には、朴(ほほ)の木が、白いゆたかな大輪の花をつけてゐた。 つづく
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